鬼殺隊の最高位に君臨し、名前の通り鬼殺隊を支える存在となっている柱。
その中で最も柱を務めている期間が長いのが、岩柱の悲鳴嶼行冥です。
幼いときに高熱を発症したことが原因で盲目となった悲鳴嶼でしたが、そのハンデをもろともしない強さを持ち、鬼殺隊最強とも呼ばれているのです。
歴代最強の柱とも言われている柱の中で、最強と呼ばれている悲鳴嶼ですが、なぜ悲鳴嶼は鬼殺隊最強と呼ばれているのでしょうか?
今回の記事では、悲鳴嶼が鬼殺隊最強と呼ばれる理由について考察してみようと思います。
- 悲鳴嶼行冥が鬼殺隊最強と言われる理由は?
- 同じ柱たちからはどのように思われているの?
- 悲鳴嶼が最強というのはいつ判明した?
などが気になった人は、ぜひこの記事を読んでみてくださいね。
悲鳴嶼行冥とは

悲鳴嶼は鬼殺隊の柱の1人であり、岩柱を務めています。
当主である産屋敷耀哉が不在の柱合会議では、個性的な柱たちのまとめ役もこなしていました。
最古参の柱であり、柱だけでなく産屋敷耀哉からも厚い信頼が寄せられています。
盲目であるにも関わらず、鬼殺隊の中では最強の剣士と言われています。
岩の呼吸の使い手
悲鳴嶼は基本の呼吸とされる呼吸の1つである岩の呼吸の使い手です。
岩の呼吸は攻守ともに優れており、使いこなすためには圧倒的な力が必要とされる呼吸で、悲鳴嶼にピッタリの呼吸とも言えます。
しかしそれ故に扱いが難しく、基本の呼吸の中では最も使い手の数も少なく、原作では派生の呼吸は見られませんでした。
また悲鳴嶼が使っている日輪刀は普通の隊士たちが使っている日輪刀とは違い、斧と鉄球を鎖でつないだ特殊な日輪刀を使用しています。
過去

悲鳴嶼は鬼殺隊になる前は、身寄りのない子供達と共にお寺で暮らしていました。
しかしある日、1人の子供が自分が助かるために鬼を寺に招き、寺が鬼に襲撃されてしまいます。
子供達を守ろうとした悲鳴嶼でしたが、子供たちは言うことを聞かずに行動し、鬼に殺されてしまいました。
1番年下の少女だけが悲鳴嶼の言うこと聞いてくれて、悲鳴嶼は少女を守るために生身の体で鬼に立ち向かいました。
一晩中鬼を殴り続り、少女を守った悲鳴嶼でしたが、騒ぎを聞きつけた人々が見たのは、血まみれな悲鳴嶼と、怯えている少女の姿でした。
悲鳴嶼が守った少女はまだ幼く、混乱した状態のままで人々に「あの人がみんな殺した」と説明してしまったのです。
鬼は日の光によって塵と消えてしまっており、悲鳴嶼は無実であるにも関わらず、殺人の罪で投獄されてしまったのです。
そんな悲鳴嶼を助けたのが鬼殺隊の当主である産屋敷耀哉であり、この事件がきっかけで悲鳴嶼は鬼殺隊になりました。
悲鳴嶼行冥はなぜ鬼殺隊最強と呼ばれるのか

悲鳴嶼が鬼殺隊で最強という事が判明したのは、柱稽古編での伊之助の発言がきっかけでした。
相手との力比べが大好きな伊之助が、きっぱりと悲鳴嶼のことを”鬼殺隊最強”と断言しており、炭治郎もその発言に納得していました。
一緒に柱稽古に参加していた他の一般隊士たちはあまりピンと来ていないようでしたが…。
ちなみに伊之助は悲鳴嶼に力比べを挑みましたが、瞬殺されてしまったようです。
炭治郎曰く、悲鳴嶼だけ他の人と匂いが全然違うみたいです。
ではなぜ悲鳴嶼は鬼殺隊最強と呼ばれているのでしょうか?
恵まれた体格

1つ目の理由は、剣士として恵まれた体格を持っているという事です。
悲鳴嶼は盲目というハンデがありながらも、身長は220センチメートルで体重は130キログロムと、大正時代の人間としては異常とも言える体格を持っています。
ちなみに大正時代の成人男性の平均身長は162センチメートル、現代では171センチメートルとなっているため、現代人と比べてもかなり大きいですよね。
同じく高身長である宇髄でさえも、初めて悲鳴嶼を見たときは自分よりも背が高い人を見て驚いたというほど。
さらに鬼殺隊に入るには、全集中の呼吸を習得していない状態にもかかわらず、素手で鬼を一晩中殴り続け仕留めた経験があります。
生まれながらにして持っていたフィジカルが、悲鳴嶼が最強であると言われる理由に大きく関係しているという事が分かりますね。
長年壮絶な鍛錬をしている

体格に恵まれている悲鳴嶼ですが、自分の体格を生かすための努力も欠かしません。
悲鳴嶼の柱稽古は一番最後とされていましたが、それは稽古内容が他と比べて圧倒的に辛い内容になっていたからです。
そしてこの稽古は一般隊士だけが行うものではなく、悲鳴嶼自身も行っていました。
稽古の内容ですが、このようなメニューになっています。
滝行 | 冷たい川に入り、念仏を唱えながら約2時間滝に打たれる。 |
丸太運び | 太い丸太を3本担ぐ。 |
巨大な岩を押す | 自分よりも大きな岩を一町先(約109m)まで押して運ぶ。 |
上記は一般隊士たちの稽古内容であり、悲鳴嶼自身の稽古の時はこれよりも内容がハードになります。
丸太運びでは丸太に岩をぶら下げて重みを増やし、さらに下から火をつけてその中で耐えていたり、岩は自分の体格よりもはるかに大きな岩を使用していました。
悲鳴嶼は鬼殺隊に入る前は身長はありましたが、筋肉はついているように見えませんでした。
こうした努力もあり、少しずつ今のような体格になっていったのでしょう。
鍛錬の内容自体はシンプルではあるもののかなり辛い内容になっており、炭治郎以外の合格者は出ませんでした。
こうした過酷な鍛錬を積んでいるからこそ、悲鳴嶼が鬼殺隊最強と呼ばれているのです。

こういった努力から、あの体格であるにも関わらず身軽な動きを取ることも可能にしています。上弦の壱・黒死牟との戦いで、黒死牟は悲鳴嶼のスピードに驚いていました。
精神面での強さ
体格が優れている悲鳴嶼ですが、精神面も他の柱よりも強い一面が見れます。
黒死牟戦では、悲鳴嶼、実弥、無一郎、玄弥が協力し合い、何とか勝つことができました。
しかし致命傷を負った無一郎はそのまま死亡し、玄弥はわずかに息があったものの、もう助からないことがはっきりと分かる状態でした。
そして実弥は自分の唯一の家族である玄弥を目の前で失い、心が折れそうになります。
そんな実弥を見て、悲鳴嶼は冷静に声をかけました。
…不死川 行かねばならぬ
©吾峠呼世晴/集英社 コミック21巻
顔を上げろ
無惨を倒すまで終わりではない
悲鳴嶼にとっても玄弥は弟子のような存在で、玄弥が死亡したことにかなりショックを受けていたに違いありません。
ですが柱として、心が折れかけた実弥に厳しい言葉をかけていました。
どんなことが起きても、冷静でいられる精神面の強さも悲鳴嶼が最強と言われる理由の1つでしょう。
他の柱たちからも最強と認められている

現在の柱たちはかなり個性が強い人物が多いですが、そんな柱たちからも悲鳴嶼はその強さを認められています。
冨岡義勇 | 尊敬している。ちょいちょい話しかけてくれる。優しい人。好き。 |
胡蝶しのぶ | 心から尊敬している。 |
煉獄杏寿郎 | 恵まれた体格、羨ましい!あの巨大な武器を軽く触れて凄い!素晴らしい筋質! |
宇髄天元 | 自分より縦寸がでかいやつを初めて見た。クソ強い。 |
時透無一郎 | 熊みたい。一番強い人。 |
甘露寺蜜璃 | 猫好きの可愛い人!それなのに鬼殺隊で一番強いなんて素敵。 |
不死川実弥 | 尊敬している。 |
伊黒小芭内 | とても強い。信頼できる。 |
一般隊士たちからは話しかけにくい柱ランキングで3位に選ばれていましたが、同じ柱たちからは信頼が厚く、打ち解け度は90%となっていました。
そして、ほとんどの柱が「尊敬している」や「強い」といった印象を悲鳴嶼に持っていることが分かりました。
無一郎と甘露寺は、はっきりと「一番強い」と明言するほどです。
心強いと感じるほどの強さ
無惨戦では悲鳴嶼は黒死牟との戦いが長引いたせいか、到着が他の柱よりも遅れていました。
炭治郎と義勇に続いて伊黒と甘露寺が到着しましたが、無惨のあまりの強さに上弦の肆・半天狗との戦いを経験している甘露寺でさえ委縮していました。
恐怖からか、心の中で悲鳴嶼の到着を祈る場面も。
悲鳴嶼さん早く来てくれないかしら
©吾峠呼世晴/集英社 コミック21巻
急いで来て欲しいわ心細いから!
悲鳴嶼が到着した時には、甘露寺は安心したような表情を浮かべていました。
同じ柱であっても、やはり悲鳴嶼の強さは圧倒的で心強いと感じるのですね。

胡蝶しのぶも、「悲鳴嶼が助けに来てくれたらみんな安心する」と思っていました。やはり悲鳴嶼は別格の強さを持っていたのでしょう。
まとめ

悲鳴嶼行冥はなぜ鬼殺隊最強と呼ばれるのか、その理由を考えてみました。まとめると…
・剣士として恵まれた体格であるから
・鬼殺隊になってからずっと壮絶な鍛錬を続けているから
・戦いの中でも冷静に状況を判断できる強い精神を持っているから
鬼殺隊最強と呼ばれることになった一番の理由は、やはり恵まれた体格であったことでしょう。
体格に恵まれただけでなく、鍛錬を続けたからこそ今の強さを手に入れることができたのですが、体格が恵まれないと、そもそも力をつけることもできませんよね。
2024年春からは柱稽古編がアニメ化されるので、その時にぜひ悲鳴嶼の稽古の様子をチェックしてみてくださいね。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
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