『鬼滅の刃』のメインキャラクターのひとり、嘴平伊之助(はしびらいのすけ)は「猪に育てられた少年」という設定で描かれています。
確かに、家族と一緒に暮らした記憶が伊之助にはありませんが、実際にはどうだったのでしょうか?
嘴平伊之助に家族(父親・母親・兄弟)はいたのでしょうか?
その鍵となるのは『上弦の弐(に)・童磨(どうま)』です。
伊之助の家族(父親・母親・兄弟)について
伊之助の過去は、上弦の弐・童磨によって明かされています。
父親は暴力的な男
伊之助の父親は、妻(伊之助の母)に暴力を振るう、今で言う「DV夫」でした。
ある日、父親が泣いている赤ん坊の伊之助を「うるさい」と言って乱暴に揺さぶったとき、妻は怒って夫の手に噛みつき、伊之助を連れて雪の中を飛び出していきました。
父親は自分の母親(伊之助の母にとっては『姑』)を連れて、妻の逃げた寺院に乗り込んでいきましたが、そこで寺院の教祖である童磨に二人とも殺され、山に捨てられています。
母親は伊之助と瓜二つ
伊之助の母・琴葉(ことは)は、毎日繰り返される夫からの暴力や姑からのいじめに耐える中、伊之助の存在だけが心の拠り所だったと思われます。
しかし、その伊之助に危害が及んだことで我慢ができなくなり、伊之助を連れ、保護してくれる寺院に駆け込んでいきました。
そのときの琴葉の様子を、童磨は伊之助にこう説明しています。
「最初見たとき、顔が原形もわからないぐらい腫れてた。酷いことするよねぇ。殴られたせいで片目失明したけど、顔はね、手当てしたら元に戻ったよ。綺麗な子で印象に残ってる」
出典:コミック第18巻
兄弟はいない
琴葉が寺院に行ったのは17歳か18歳ぐらいで、連れて行ったのも伊之助だけでしたので、少なくとも琴葉が生んだのは伊之助だけと思われます。
また、父親は琴葉が逃げたときに寺院まで追いかけて行くほどご執心だったことから、他の女性との間に子供がいた可能性も低いでしょう。
あるいは、寺院へは跡継ぎの伊之助を取り戻しに行ったのかも知れませんが、それならばなおさら「他に子供がいなかった」と考えられ、つまり伊之助の兄弟はいない、と考えて良いと思います。
母親のその後
童磨のところで暮らし始める
童磨に保護された伊之助の母親は、童磨が人食い鬼であるとは知らず、そのまま童磨のもとで暮らし始めます。
また、童磨も琴葉のことを「心の綺麗な人が傍にいると心地いい」と言っていたほどのお気に入りで、それは本心だったと思われます。
しかし、琴葉は童磨が信者を食べていることを知ってしまい、童磨を罵ったあと、伊之助を連れて逃げ出しました。
童磨から伊之助を守るために手放した
童磨に追い詰められた伊之助の母・琴葉は、せめて伊之助だけは生き延びてほしいと、崖の上から伊之助を落としています。
もちろんそれも危険な行為ですが、このままでは二人とも童磨に食べられてしまうので、とにかく必死で逃がしたのでしょう。
この後すぐ、琴葉は童磨に殺され、食べられてしまいます。
伊之助の記憶と『上弦の弐(に)・童磨(どうま)』が語った真実
「母親の記憶はない」と思っている伊之助
炭治郎「そうか、伊之助も山育ちなんだな」
出典:コミック第4巻
伊之助「お前と一緒にすんなよ。俺には親も兄弟もいねぇぜ。他の生き物との力比べだけが俺の唯一の楽しみだ」
鼓の屋敷の任務の後、鬼殺隊同期の竈門炭治郎(かまどたんじろう)と我妻善逸(あがづまぜんいつ)とともに休息をとるために訪れた『藤の花の家紋の家』でのセリフです。
「嫌な思い出だから、なかったことにしている」というわけではなく、このときの伊之助は本当に何も覚えていなかったのです。
那田蜘蛛山で見た走馬灯
伊之助は那田蜘蛛山で父蜘蛛と戦っているとき、おそらく人生で初めて死ぬことを覚悟したと思われます。
そのとき見た走馬灯に、見知らぬ女性が出てきました。
「ごめんね、伊之助」と泣きながら自分の名前を呼ぶ女性を見て、伊之助は「誰だ?」と思っています。
『母親の仇』上弦の弐・童磨との遭遇
童磨だけが知っていた真実
伊之助と上弦の弐・童磨は、無限城で遭遇しました。
伊之助が母親とそっくりだったことで琴葉の息子だと気づいた童磨は、伊之助に母親のことをペラペラとしゃべり始めます。
伊之助は「俺に母親なんかいねぇ! 俺を育ててくれたのは猪だ! 関係ねぇ!」と言って話を聞こうとしませんが、童磨は話を続けます。
そして信者を食べていることを琴葉に知られて罵られ、最後は追い詰めて殺したことも。
これが、かつて伊之助が見た走馬灯と重なる真実でした。
伊之助と童磨が鉢合わせしたのは偶然?
伊之助は無限城で、鎹鴉(かすがいがらす)に「いちばん強い鬼の所に連れて行け」と命令していますが、案内されたのは「鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)」でも「上弦の壱(いち)」でもなく「上弦の弐」。
鬼舞辻にはわざとたどりつかないようにしていたのかも知れませんが、上弦の『壱』ではなく『弐』だったのは、伊之助がいちばん倒すべき相手だったからかもしれません。
童磨を倒したのは蟲柱・胡蝶しのぶ、栗花落(つゆり)カナヲ、伊之助の3人
童磨は、胡蝶しのぶの姉・胡蝶カナエの仇でもありました。
しのぶは童磨を倒すため、自分の命をも犠牲にした綿密な計画を立てており、カナヲにはそれを話してありましたが、童磨の強さは二人の想像以上でした。
そこに伊之助が加わり、何とか童磨を倒すことができたのです。
カナヲと伊之助の刀で童磨の頸を斬ったとき、すでにしのぶは童磨に吸収されて死んでいましたが、鴉はちゃんとこう伝えています。
伊之助くんがいなければ、いくら私が毒で童磨を弱らせたところで、カナヲだけで倒すのは無理でした。伊之助くんの力と天性の勘が、童磨の撃破には不可欠な要素となったのです。
育ての親『猪』との出会い
猪のおかげで生き延びられた伊之助
母親が伊之助を手放した山に住む猪が、伊之助を赤ん坊から幼少期まで育ててくれたようです。
母親に崖から落とされた伊之助は、崖の下に深い川があったおかげで地面には叩きつけられずに命拾いしています。
親代わりになった猪が水の中から助けてくれたのか、それともたまたま打ち上げられている伊之助を見つけたのかはわかりませんが。
尚、猪は泳げないようなイメージがありますが、調べてみましたら、そうでもないようです。
積極的に水へ入ることはないが、餌を探す際には水路に沿って移動するため、追い立てられたりして止むを得ず泳ぐことから川辺や海辺で遭遇する事例もある。犬かきで時速4km程度を出せ、30kmの距離を泳ぐことも不可能ではないという。瀬戸内海では島の間を渡る猪がたびたび目撃されている。欧米でも「グッド・スイマー」と呼ばれているという。
出典:Wikipedia
伊之助がかぶっている猪頭は、育ての親のもの
伊之助は、自分を育ててくれた猪の皮をかぶっており、それは替えの利かない大事なものでした。
ですので、それを取られた伊之助が怒っているのは当然のことです。
伊之助にとっての「親の温もり」は、この「育ての親である猪の温もり」だったのでしょうね。
『もう一人の育ての親』の存在
人間の食べ物と教育を与えてくれた「おじいさん」
人間は、ある一定の年まで言語に触れなかった場合、その後、言葉の習得は困難となる。しかし伊之助少年は言葉が堪能であった。それはなぜか。
出典:コミック第10巻
伊之助の住んでいた山の近くにいるおじいさんが、たびたび伊之助を家に連れてきていたのです。
この画を見る限り、完全に「猪の子への餌付け」ですけどね。
そしてもう少し大きくなると、読み聞かせもしてくれるようになります。
伊之助に「猪突猛進」という言葉を教えてくれたのは、多分このおじいさんでしょう。
字の読めない伊之助が、ときどき文語的な結構難しい言葉を使っているのは、このおじいさんの影響かと思われます。
- 「屍(しかばね)を晒して 俺の踏み台となれ」(鼓の屋敷の雑魚鬼に対して)
- 「悪化上等!! 今この刹那の愉悦に勝るもの無し!!」(鼓の屋敷で炭治郎に対して)
- 「こいつはアレだぜ、この土地の主・・・ この土地を統(す)べる者」(無限列車に対して)
- 「どいつもこいつも俺が助けてやるぜ! 須(すべか)らくひれ伏し!! 崇め讃えよこの俺を!!」(無限列車で乗客を助けるとき)
- 「謝意を述べるぜ、思い出させてくれたこと」(無限城で童磨に対して)
口の悪さは「このおじいさんの孫」の影響
たまに難しい言葉を発する一方で、通常の伊之助は口が悪いです。
では、この口の悪さは誰の影響かといいますと、
この青年“たかはる”は、伊之助を可愛がってくれていたおじいさんの孫です。
働き者で、痴呆が入ってきている祖父の面倒をひとりで見ている良い青年でした。
“たかはる”は伊之助のことを本当に猪だと思っていたようで、祖父が伊之助を連れて来る度に「親猪まで山から下りてきたら危ない」、「猪の子を初孫のように可愛がっている姿が痛々しい」、そんな優しい気持ちから祖父に注意をしていました。
しかし、とにかく口が悪いので、端から見ると祖父にひどいことを言っているようにしか聞こえません。
そんな光景を見てきた伊之助は、彼の言葉を普通と思って(?)覚えてしまったようです。
小さい子供の吸収力というのは素晴らしいですね、本当に。
伊之助の名前を教えてくれた「おじいさん」
伊之助が炭治郎と善逸に初めて会った鼓の屋敷で、「ふんどしに名前が書いてある」と言っています。
自分で字を読むことはできませんでしたが、ふんどしに書かれているのが自分の名前であることを教えてくれたのも、ここのおじいさんでした。
また、このときは「ふんどし」になっていますが、元々は赤ん坊を包み込む「おくるみ」だったようです。
「自分は親に捨てられた」と言う伊之助に、善逸が言ったセリフです。
善逸の言うとおり、伊之助は母親から深く愛されていましたよね。
まとめ
伊之助は家族の顔も愛情も知らずに育ってきました。
しかしその背景には、悲しくも温かい母親の愛がたくさんあったことを、皮肉にも母親の仇である童磨の話から知ることになります。
カナヲがひとりでは童磨の頸を斬れなかったのと同様に、おそらく伊之助もひとりでは童磨を倒すことはできなかったでしょう。
一匹狼ならぬ「一匹猪」で生きてきた伊之助は、仲間を得て母親の敵討ちを成し遂げたのでした。
なお、その「母親の仇討ち」につきましては、こちらの記事で詳しく紹介しています。
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