『鬼滅の刃』は、『鬼退治の物語』であると同時に、子供たちの『成長物語』でもあります。
そのため、彼らを導いてくれる厳しくも優しい師匠たちは、重要な存在として描かれています。
主人公・竈門炭治郎には鱗滝左近次(うろこだきさこんじ)、我妻善逸には「じいちゃん」こと桑島慈悟郎(くわじまじごろう)、いずれも、彼らの成長には欠かせなかった人たちですね。
しかし、嘴平伊之助にはこの二人のような師匠がおらず、呼吸も我流で習得しています。
ただ、明らかな剣術の師匠はいなくとも、これまでに出会ったさまざまな人から影響を受け、「物語中でいちばん」とも言われるほど大きな成長を遂げているキャラクターです。
そこで、今回は伊之助の成長に欠かせなかった「特に重要な人物」を挙げ、伊之助がどのように影響を受けたかを見ていきたいと思います。
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嘴平伊之助の師匠となった人たち
伊之助を特に大きく成長させた人物として、以下の人たちを取り上げます。
- 伊之助が幼少期に出会った「おじいさん」と「その孫」
- 鬼殺隊に入って間もない頃に出会った「竈門炭治郎」
- 大きな存在感を残していった「炎柱・煉獄杏寿郎」
言葉の師匠:おじいさん&その孫・たかはる
人間の言葉を教えてくれた人たち
物語の中で、伊之助は「イノシシに育てられた少年」として描かれています。
しかし、人間の言葉が堪能だったということは、野生動物だけでなく人間とも触れ合う機会があったということになりますね。
その「人間」とは、あるひとりのおじいさんと、その孫の「たかはる」でした。
しかし、たかはるは伊之助のことを「奇妙な動物」だと思っていたので、おじいさんが伊之助を連れてくると追い払っていたのです。
このときの「たかはる」の言葉を知らず知らずのうちに覚えた伊之助は、確かに言葉は堪能になりましたが、彼の口の悪さもそのまま受け継いでしまったのでした。
おじいさんは伊之助を人間だとわかっていた
このおじいさんは物忘れがひどくなってきてはいましたが、伊之助が動物ではなく人間であることをわかっていました。
では、なぜ青年のたかはるにはわからなかったことが、おじいさんにはわかったのでしょうか?
ここでは、かつて珠世さん(炭治郎が浅草で出会った「人間の味方」の鬼)が言っていたセリフを使わせていただきます。
「特に子供や年配の方は鋭い」、つまり、おじいさんは見た目や理屈ではなく、本能的に「この子は人間の子だ」と察知していたのでしょう。
難しい言葉を教えてくれたのは、おじいさん
「百人一首の読み聞かせ」をしてくれるとは、なかなか高度な教育ではないでしょうか。
このおじいさんは、教養の高い人だったのかも知れませんね。
そして、伊之助に『猪突猛進』という言葉を教えてくれたのも、きっとこのおじいさんでしょう。
名前を教えてくれたのも、おじいさん
伊之助は、身につけていたふんどし(元は赤ちゃんの「おくるみ」だったらしい)に書いてあるのが自分の名前であることを、このおじいさんに教えてもらいました。
自分にちゃんと名前があることを知れたのは、人間の伊之助にとって、とても有り難いことだったでしょうね。
結局、あのタコ助(=たかはる)からは何も教えてもらってねえけどな。
協力して戦うことの大切さを教えた師匠:竈門炭治郎
伊之助は、炭治郎や善逸と出会うまではずっとひとりで戦ってきたため、「誰かと力を合わせる」という戦い方を知りませんでした。
しかし、「ひとりでは無理でも二人ならできる」という戦法があることを、炭治郎と行動を共にするうちに学んでいきます。
ひとりで手柄を立てるよりも大事なこと
初めて炭治郎と一緒に戦った那田蜘蛛山での場面です。
伊之助は最初、一人で向かっていってピンチに陥り、間一髪で炭治郎に助けられていました。
それでも自分が前に出て戦わなければ気が済まない伊之助に、炭治郎は「俺を踏め!」といって、伊之助に攻撃をさせています。
この戦いの中で、伊之助は炭治郎が何を考えてそうしたのかに気づいたのでした。
良い作戦には素直に従うようになった
こちらも炭治郎と共に戦った、無限列車での下弦の壱・魘夢(えんむ)戦です。
自分が親分だと言い張りながらも、炭治郎の作戦がベストだと理解し、実行することに賛成しています。
そしてこの後、伊之助の技でもう一度頸の骨を露出させ、最後は炭治郎のヒノカミ神楽で頸を断ち、魘夢を倒したのでした。
信じる心を説いた師匠:炎柱・煉獄杏寿郎
無限列車編で、伊之助は更なる心の成長を遂げています。
その成長を大きく促した人物が、炎柱・煉獄杏寿郎でした。
命令を嫌う伊之助が反発できなかった
伊之助が煉獄さんから受けた指示は、炭治郎に対するものと同じ内容だったはず、つまり、こういうことでしょう。
この汽車は8両編成だ。俺は後方の5両を守る。残りの3両は黄色い少年と竈門妹が守る。君と竈門少年は、その3両の状態に注意しつつ、鬼の頸を探せ!
的確な指示と有無を言わせない柱のオーラに、伊之助も従わざるを得なかったのだと思います。
自分の力不足を嫌というほど思い知らされた
煉獄さんが上弦の参・猗窩座(あかざ)と戦っていたこの場面で、炭治郎は「助けに入りたくても手足に力が入らない」と(心の中で)言っています。
しかし伊之助は「助けに入りたくても足手纏いになるだけだから入れない」と感じていました。
つまり、自分の意志でそこにとどまっていたわけで、このあたりの状況判断は、炭治郎よりも伊之助の方が優れていたことになりますね。
煉獄さんの最期の言葉を胸に
煉獄さんは炭治郎と向き合って話をしていましたが、この言葉は、炭治郎だけに向けられたものではなかったでしょう。
そばにいた伊之助、そして近くにはいなかったけれど、善逸(と禰豆子?)にも向けられたものだったと思います。
その証拠がこの場面、
重傷(致命傷)を負っていて、体の向きを変えるのは相当辛かったと思いますが、ちゃんと伊之助の方を向いてくれていますね。
誰かを思って泣いたのは初めてだった
自分自身、ボロボロに泣きながらも、炭治郎たちを奮い立たせようとする伊之助。
そもそも、伊之助が泣いている場面はこの無限列車編が初めてだったと思います。
蝶屋敷でのストレッチは「例外」ってことにしといてやる。
そして隠(かくし)たちに救助されたあと、伊之助が更にギャン泣きしていたことを、善逸の回想でバラされています。
ただ、こんな風に誰かの死を悲しんで悔しがってギャン泣きすることなど、かつての伊之助からは考えられないことでした。
遊郭で煉獄さんを思い出していた
遊郭での上弦の陸・堕姫(だき)との戦いでは、善逸と二人で戦っていたにもかかわらず、なかなか仕留めることができないでいました。
一緒に遊郭に乗り込んでいた音柱・宇髄天元(うずいてんげん)と炭治郎は、上弦の陸「本体」の妓夫太郎(ぎゅうたろう)と戦っていてかなりの重傷を負っており、ほとんど無傷の自分と善逸がなんとしなければと焦っている場面です。
伊之助は、無限列車編での煉獄さんの最期の言葉を胸に、自分に厳しい修業を課してきていたのでしょう。
たったひとりで『上弦の参』に立ち向かい、後輩たちにその大きな背中を見せてくれた煉獄さんの想いは、伊之助にもしっかりと届いていました。
自分自身で育てた「仲間への心」
「刀鍛冶の里編」の後に行われる「柱稽古」では、炭治郎や善逸以外の鬼殺隊士とも交流を深めることになる伊之助。
そのことが、また伊之助の心の成長に繋がっていきます。
「柱稽古」での交流
これは、どちらも岩柱・悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)に稽古を付けてもらっているときのものです。
那田蜘蛛山で出会った村田さんも久しぶりに登場し、また、この場面で初めて名前が明かされた隊員たちもたくさんいます。
ちなみに「柱稽古」とは?
その名のとおり、「柱から稽古をつけてもらう」ことなのですが、「稽古」という響きとはほど遠く、むしろ「拷問」に近いものでした。
刀鍛冶の里において禰豆子が太陽を克服したことで(※人間に戻ったわけではない)、鬼の始祖・鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)がこれまでの計画を変更したのか、鬼の出没がピタリと止んだ時期がありました。
その時期を利用して、柱より下の階級の隊士たちが柱を順番に巡って稽古をつけてもらう特別な訓練を行うことになり、それを『柱稽古』と呼んでいます。
交流を持った仲間たちへの想い
鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)との最終決戦では、たくさんの仲間が傷つき、命を落としていきました。
伊之助はその仲間の姿を見て、涙と怒りを抑えることができなかったのです。
他の生き物との力比べだけが俺の唯一の楽しみだ!
かつてはそう言い切っていた伊之助が、無惨戦では仲間のために涙を流し、仲間のために命を懸けて戦ったのでした。
まとめ
伊之助には、炭治郎や善逸のように、「ひとりの師匠と寝食を共にして徹底的に剣術を教えてもらう」という機会がありませんでした。
その代わり、鬼殺隊に入ったあとに柱や同期の仲間からいろいろなことをどんどん吸収し、剣士としてだけではなく、ひとりの人間としても著しい成長を遂げています。
人間は、いつでも誰からでも何かを学んで成長できることを、伊之助はわかりやすく体現してくれていると感じました。
なお、炭治郎の師匠・鱗滝左近次については、こちらの記事で詳しく紹介しています。
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