鬼殺隊を支える存在として、位が最も高い剣士として君臨している柱たち。
その中でも最強と言われ、他の柱たちからも信頼されているのが岩柱・悲鳴嶼行冥です。
柱たちからだけではなく鬼殺隊の当主である産屋敷耀哉からも信頼されており、耀哉の自身を犠牲にした自爆の作戦も唯一知らされていました。
盲目というハンデがありながらも、恵まれた体格と日々の努力で鬼殺隊最強まで上り詰めた悲鳴嶼ですが、無惨戦で死亡してしまいます。
今回の記事では、悲鳴嶼の最期はどんなものだったのかについて詳しく解説していきます!
- 悲鳴嶼行冥の最期とは?
- 無惨戦での悲鳴嶼行冥の活躍は?
- 死亡までどんな経緯があったの?
などが気になる人は、ぜひこの記事を読んでみてくださいね。
悲鳴嶼行冥とは
柱の中で最年長であり、最も長く柱として鬼殺隊を支えている悲鳴嶼行冥。
悲鳴嶼は生まれた時に高熱を出したことが原因で失明しています。
盲目というハンデがありながらも恵まれた体格を生かし、鬼と戦い続けています。
鬼殺隊に入る前から強さは別格であり、体を鍛えているといったこともない状態で、一晩中素手で鬼と戦い続けるという驚くべき身体能力の高さを持っていました。
圧倒的なパワーの持ち主ですが、上弦の壱である黒死牟が驚くほど身軽な動きをしており、柱の足の速さランキングでは3位になるなどスピード面でもかなり優れていることが判明しています。
同じ柱たちや鬼殺隊の当主である産屋敷耀哉からも信頼されていますが、近寄りがたい雰囲気があるためか、一般隊士たちの間では話しかけにくい柱と思われているようです。
鬼殺隊最強の男
炭治郎からは「匂いが他の人と全然違う」と評価され、伊之助からは「ビビッと来た」と言わしめるほどの強さを持つ悲鳴嶼。
荒くれ者である不死川実弥も悲鳴嶼のことを尊敬しており、敬語で話すシーンがありました。
悲鳴嶼は全集中の呼吸の五大流派の1つである岩の呼吸の使い手です。
岩の呼吸は攻守ともに優れている呼吸法ですが、圧倒的なパワーがあることを前提として生まれた呼吸法であるため、まさに悲鳴嶼にピッタリな呼吸と言えるでしょう。
扱いが難しいためか、悲鳴嶼の他に岩の呼吸を使う剣士はおらず、岩の呼吸から派生した呼吸も作中では登場しませんでした。
悲鳴嶼は鉄球と斧が鎖で繋がれている日輪刀を使い、黒死牟戦では一時的ではあるものの、1人で黒死牟を食い止めるという強さを見せています。
約400年鬼として鬼殺隊と戦い続けている黒死牟からはその実力を高く評価されており、300年ぶりの剣士とまで言われていました。
さらに悲鳴嶼は、「痣の発現」や「透き通る世界」の会得だけでなく、赫刀を顕現も成功させています。鬼殺隊最強と呼ばれるにふさわしいですよね。
悲鳴嶼行冥の過去
最強と言われる悲鳴嶼ですが、鬼殺隊に入ったのには辛い過去があったからです。
悲鳴嶼は鬼殺隊に入る前は身寄りのない子供たちを引き取り、寺で共に生活していました。
お互いに助け合い家族のように暮らしていましたが、ある日、子供の1人が鬼と遭遇してしまいます。
子供は自分が助かるために、寺にいた悲鳴嶼と8人の子供たちを差し出すと言い、鬼を寺に招き入れました。
すぐに4人の子供が殺され、悲鳴嶼は生き残った子供たちを守ろうとしましたが、3人の子供は悲鳴嶼の言いつけを聞かずに寺を飛び出してしまい、鬼に殺されてしまったのです。
一番幼かった沙代という女の子だけが悲鳴嶼の言いつけを守ってくれたので、悲鳴嶼は沙代だけは守ろうと一晩中鬼と素手で戦い続けました。
悲鳴嶼の圧倒的な力に鬼は手も足も出ず、日が昇るとともに鬼は消滅し、残ったのは子供たちの亡骸と唯一生き残った沙代、血まみれの悲鳴嶼だけでした。
周りの人々が駆けつけると、沙代は混乱して悲鳴嶼を追い詰めるような証言をしてしまったのです。
あの人は化け物
©吾峠呼世晴/集英社 コミック16巻
みんなあの人がみんな殺した
沙代の証言により、子供たちを殺した犯人は悲鳴嶼だと決めつけられてしまい、無実でありながら悲鳴嶼は死刑囚となってしまいました。
絶望した悲鳴嶼でしたがそこに産屋敷耀哉が現れ、産屋敷の力で悲鳴嶼は解放されました。
この出会いがきっかけとなり、悲鳴嶼は鬼殺隊に入隊し、その後柱にまでなったのです。
沙代の言っていた「あの人」というのは悲鳴嶼のことではなく、子供たちのことを殺した鬼のことだったのです。ですがまだ沙代は幼く、悲惨な光景を目にしてしまっていたため、混乱して正常に話すことができませんでした。沙代はそのことをずっと後悔しており、悲鳴嶼に謝りたいと思っているようです。
悲鳴嶼行冥の最期
鬼殺隊最強である悲鳴嶼ですが、無惨との最終決戦で死亡してしまいます。
最終決戦までの悲鳴嶼の活躍や、どのような最期を迎えたのか詳しく見ていきましょう。
黒死牟戦で勝利
無限城戦では、悲鳴嶼は無一郎、玄弥、実弥と共に黒死牟と交戦します。
戦いの中では状況を冷静に判断し、自身が攻撃を仕掛けるだけではなく指揮をとる場面も。
柱稽古で他の柱たちとの訓練も行っていたため、特に実弥とは息の合った攻撃で応戦します。
痣を発現させて黒死牟を追い詰めますが、黒死牟は首の弱点を克服し、悲鳴嶼たちを窮地に追い込みました。
それでも勝利を諦めず、無一郎や玄弥の命を懸けた反撃もあり、なんとか黒死牟との戦いに勝利しました。
無惨戦に合流し、重傷を負う
黒死牟との戦いが長引いたのか、他の柱たちからは遅れて無惨戦に合流します。
黒死牟戦では透き通る世界を会得し、無惨戦では自身の日輪刀の鉄球と斧をぶつけ、赫刀を顕現にも成功します。
愈史郎の目隠しの術や珠世の薬の力もあり、他の隊士たちと共になんとか無惨の攻撃をさばきますが、無惨から周囲を一掃する攻撃が放たれ、重傷を負います。
この時に悲鳴嶼は伊之助や善逸を庇い、左足の膝から下を切断され、気絶してしまいます。
悲鳴嶼や他の隊士たちが気絶して戦闘不能状態になってしまった時に炭治郎が復活し、その後に復活した伊黒と共に無惨を足止めし、時間が経って悲鳴嶼も戦線に復帰。
ついに日の出の時間となり、それでも何とか逃げようとする無惨を悲鳴嶼は日輪刀の鎖で拘束し、足止めします。
それでもあがく無惨でしたが、日光に耐えることができず無惨は消滅し、鬼殺隊の勝利となりました。
しかし悲鳴嶼は左足を失うという重傷に加え、痣の寿命もあり助かる見込みはありませんでした。
過去に一緒に生活していた子供たちが現れる
隠たちが悲鳴嶼を何とか助けるために薬を使おうとしましたが、自分の寿命が長くないと分かっていた悲鳴嶼は、薬は他の若い隊士に使うように隠に伝えます。
悲鳴嶼が目を閉じると、目の前に現れたのは過去に寺で共に生活をしていた子供たちでした。
子供たちは悲鳴嶼に駆け寄り、あの日の夜に起きた出来事について話始めます。
あの日のことを私たちずっと謝りたかったの
©吾峠呼世晴/集英社 コミック23巻
先生を傷つけたよね?
でも俺たち逃げようとしたんじゃないんだよ
鬼が寺に侵入した時に、子供たちは悲鳴嶼のいう事を聞かずに寺を飛び出しました。
目の見えない悲鳴嶼を守るため、鬼と戦うために外にある農具を取りに行こうとしたり、助けを呼んで来ようと思って外に出ました。
悲鳴嶼は目の見えない自分を見捨てたと思っていましたが、子供たちは悲鳴嶼を助けようと思って寺から飛び出したのです。
子供たちは悲鳴嶼を傷つけてしまったことをずっと気にかけており、涙を流して謝罪しました。
悲鳴嶼は子供たちが本当は自分のことを慕っていてくれていたことを知り、涙を流します。
最後はずっと自分を待っていてくれた子供たちに抱きしめられ、悲鳴嶼は穏やかな表情のまま亡くなりました。
悲鳴嶼が亡くなったときに、隠の女性が涙を流すシーンがありました。この女性が沙代だったのでは?と言われています。気になる人はぜひ確認してみてください。
最終回では悲鳴嶼に似た男性の姿が
鬼滅の刃の最終回では、鬼殺隊の子孫たちが鬼のいない平和な時代で暮らしている様子が描かれていました。
悲鳴嶼は最終決戦で死亡してしまったため子孫はいませんが、悲鳴嶼にそっくりな男性の姿がありました。
幼稚園の先生として働いており、女性の先生と比べるとかなり身長差があったので大正時代の悲鳴嶼と同じくらいの背丈がありそうです。
最後に子供たちと和解することができた悲鳴嶼に、幼稚園の先生はピッタリですよね。
大正時代では盲目であった悲鳴嶼ですが、現代に転生した悲鳴嶼は視力があるという事が判明しました。単行本の書下ろしでは黒目が描かれています。
まとめ
悲鳴嶼行冥の最期について詳しく解説しました。まとめると…
・無限城では仲間たちと協力し、黒死牟との戦いに勝利する
・最終決戦では無惨の攻撃から仲間を庇ったことで、左足を失う重傷を負う
・日光から逃げる無惨を拘束し、仲間たちと協力して無惨を倒すものの助かる見込みはなかった
・死の間際に子供たちと再会したことで、本当は子供たちから慕われていたことを知り、穏やかな表情で亡くなる
悲鳴嶼は無惨戦で重傷を負ってしまい、そのまま亡くなりました。
しかし最期には子供たちと再会し、子供たちの本当の想いを知ることで心残りを解消することができました。
転生した姿では、幼稚園の先生として大好きな子供たちと平和に過ごせていたら嬉しいですよね。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
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