鬼殺隊に入隊するためには、人間離れした鬼と戦うために、自身の身体能力を向上させるために全集中の呼吸の取得が必須となります。
そして、全集中の呼吸の呼吸をさらに極めることができると、全集中の呼吸・常中を習得し、さらに身体能力を向上させることが可能になります。
炭治郎たちも苦労の末、何とか常中を習得していましたね。
実はそれ以上に身体能力を向上させる「痣」の発現もあり、現在の鬼殺隊の中では炭治郎が最初の痣者となりました。
なぜ実力が上である柱たちではなく、炭治郎が痣をはじめに発現することができたのでしょうか?
今回の記事では、炭治郎が痣を発現した理由について詳しく考察していきたいと思います!
- 炭治郎が痣を発現した理由って?
- 炭治郎の痣はどのように変化しているの?
- なぜ炭治郎が現在の鬼殺隊の中で初めの痣者になったの?
などが気になった人は、ぜひこの記事を読んでみてくださいね。
痣が発現する条件とは
炭治郎が痣を発現した理由を考察する前に、痣が発現する条件をまずは見ていきましょう。
鬼殺隊での初めての痣者は、全集中の呼吸の生みの親でもある継国縁壱です。
そして、縁壱と同じ時代であった柱たちにも痣はありました。
しかしそれ以来痣者は現れず、どのような条件を満たせばよいのかは記録されていなかったのです。
ですが刀鍛冶の里で上弦と戦った甘露寺と無一郎にも痣が出現し、無一郎は痣の発現条件を見抜いたのです。
心拍数が二百を超える
まず1つ目の条件が、心拍数が二百を超えることです。
甘露寺も痣が発現した際の状況を説明するときに、「心臓がばくんばくん」と言っていました。
正常時の心拍数は60~100回と言われているため、その倍の数値になります。
ちなみに心拍数というのは、通常は1分間の間に心臓が拍動した回数のことを指します。一般的にはかなりきつい運動をしているときの心拍数が160回と言われているので、心拍数が200を超えるというのはとんでもない数値というのが分かりますね。
体温が三十九度以上になる
2つ目の条件は、体温が三十九度以上になることです。
日本人の平均は三十六度前後とされているので、体温が三十九度となるとかなりの高熱で普通の人だったら立っているのも辛いはずです。
この条件を聞いた胡蝶しのぶは、命にかかわると驚いていました。
条件を満たしたからと言って必ず痣が出るわけではなく、この厳しい条件を乗り越えた人が生き残り、痣を発現することができるのです。
炭治郎が痣を発現した理由
炭治郎が痣を発現した理由ですが、先ほど解説した条件を2つ満たし、さらに全集中の呼吸を極めて身体能力も備わっていたため、痣を出現することができたのです
遊郭で妓夫太郎や堕姫と戦う前の修業の際に、炭治郎は体温が高いという状態がずっと続いていました。
炭治郎の熱がずっと続くことに、蝶屋敷のきよちゃんはどこかに体に異常があるのでは?と炭治郎を心配していました。
しかし、炭治郎は熱が出ていると調子が良く、ヒノカミ神楽を連続して使うことができるからとしのぶへの報告をしないようにお願いしていたのです。
この時から炭治郎の体は、痣を発現する一歩手前の状態だったのですね。
妓夫太郎との死闘で条件を満たした
体温がずっと高熱であった炭治郎ですが、妓夫太郎との戦いでさらに体温を上げ、心拍数をも上げることで痣を発現することに成功しました。
毒が体に回っていた状態にもかかわらず、妓夫太郎と宇髄の激しい戦いに参戦した時に、心拍数も体温も上昇し、痣を発現。
炭治郎が現在の鬼殺隊の中では一番初めに痣を発現した隊士になりますが、炭治郎の説明が抽象的だったため、柱たちに痣のことは伝わることはありませんでした。
その後、刀鍛冶の里での戦いの後に無一郎が具体的に説明をしたおかげで、条件が判明することになります。
無一郎の前に甘露寺が痣が出た時の状況を話そうとしますが、擬音語ばかりの説明で周りは全く理解できませんでした(笑)。炭治郎も甘露寺と同じタイプだったので、無一郎がきちんと説明して無事に痣の発現条件が柱たちに共有することができました。
炭治郎の痣の変化
炭治郎の痣は額に出現していましたが、額に注目してみると物語の進行と共に見た目が変化していることが分かります。
炭治郎の痣はどのように変化していったのか見ていきましょう!
弟を庇って額に火傷する
炭治郎は、生まれた時には痣はありませんでした。
遊郭編で堕姫との戦いのときに、額の痣は生まれつきではなく、弟が火鉢を倒してしまった際に庇ってできた火傷の傷だと言っていました。
確かに1話の炭治郎を見ると、痣というよりかは傷跡に見えますよね。
最終選別のケガの影響で色が濃くなる
鬼殺隊に入隊する前に、炭治郎も他の隊士たちと同じく最終選別を受けています。
その時に炭治郎は額を負傷してしまい、痣のような見た目に変化しました。
色も赤くなっていますが、まだ形は火傷の名残があるように見えますね。
妓夫太郎との戦いで痣を発現
妓夫太郎の首を斬ろうと渾身の力を出した際に、初めて額の傷が痣に変化しました。
痣は炎のような形をしており、炭治郎と同じく日の呼吸を使っていた縁壱とよく似ています。
鍛錬を重ねて濃い色に変化
痣は常に出ているわけではなかったので、普段は傷のような見た目になっていました。
しかし、悲鳴嶼行冥の柱稽古で不死川玄弥と再会した際に、玄弥から額の痣が濃くなっていると指摘されたのです。
岩を押す修業をしている炭治郎に注目すると、確かにまったく押すことができていないときと、押せるようになった時では痣の色が濃くなっているのが分かります。
猗窩座との戦いで痣の形が変化
炭治郎の痣はさらに変化を遂げていました。
炭治郎は無限城での猗窩座との戦いで、透き通る世界を習得します。
そして、習得した際に額にあった痣に注目してみると、鼻の付け根部分にまで伸びているのです。
柱稽古の時は、痣は炭治郎から見て額の左上にしかありませんでしたが、猗窩座との戦いで新しい強さを手に入れたことがきっかけで、痣の形が変化しました。
最終決戦後は痣として残る
今までは日常生活の時は痣ではなく傷のような見た目になっていましたが、最終決戦後の炭治郎の額に注目すると、痣の形になっているのが分かります。
炭治郎は最後、無惨によって鬼に変えられてしまったので、その影響があって痣の形をのままになったのかもしれません。
なぜ初めに痣を発現したのが炭治郎なのか
炭治郎が痣を発現したのは、上弦の陸・妓夫太郎と戦った時でした。
この時点では、炭治郎は堕姫と1人で戦うときも苦戦していたことから、実力は柱たちよりも下であったことが分かります。
それなのに、なぜ初めに痣を発現したのが炭治郎だったのでしょうか?
日の呼吸の適性があった
まず考えられるのは、炭治郎は始まりの呼吸である「日の呼吸」の適性があったことです。
産屋敷家には、このような記述が残されていました。
痣の者が一人現れると共鳴するように周りの者たちにも痣が現れる
引用元:©吾峠呼世晴/集英社 コミック15巻
痣者がいた戦国時代では、初めての痣者は継国縁壱でした。
縁壱は炭治郎と同じ日の呼吸の使い手であり、2人の痣の形も似ています。
そして戦国時代以降、痣者は現れることはありませんでした。
無惨は日の呼吸の使い手がトラウマとなり、黒死牟と共に日の呼吸を使っていた隊士や日の呼吸の存在を知る人たちを根絶やしにしています。
痣者が現れなかったのは、痣者の1人目となるはずの日の呼吸を使う人が現れなかったからでは?と考えると、炭治郎が初めの痣者であるのにも納得できますね。
痣者である炭十郎の子供だったから
もう1つ考えられる理由は、炭治郎の父親である炭十郎が痣者だったからではないでしょうか。
先ほど解説した通り、炭治郎の額の傷は生まれつきではありませんが、炭十郎は生まれつき額に痣のような傷がありました。
さらに、炭十郎は鬼殺隊の中でもごくわずかの隊士しか習得できていない「透き通る世界」も習得しています。
生まれつきの痣者であり、さらに透き通る世界も習得している炭十郎の子供となると、ポテンシャルはかなり高そうです。
炭十郎が痣者であったかどうかは明確になっていませんが、ヒノカミ神楽を一晩中踊り続けることができて、自分よりもはるかに大きい熊を仕留めることができるなどといった常人離れした身体能力を持っていたことから、痣者であったことはほぼ確実でしょう。
まとめ
炭治郎が痣を発現した理由について考察してみました。まとめると…
・満身創痍の状態で妓夫太郎と死闘の末、発現条件を満たして痣を発現
・痣は生まれつきではなく、火鉢から弟を庇った時にできた傷がもとになっている
・痣の変化が見られ、強くなると色が濃くなり痣の形が変わったりしている
・炭治郎が痣者の1人目となったのは、日の呼吸が使える痣者の子孫だったから
無限城戦で上弦の鬼たちとの戦いを経て、ほとんどの柱たちが痣を発現させることに成功していますが、痣の形や色が変化したのは炭治郎のみでした。
まだ柱稽古以降はアニメ化がされていないので、アニメ化された時には炭治郎の痣がどのように変化しているのかにも注目してみてくださいね。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
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