アニメ『鬼滅の刃』において、全二十六話中の「神回」といえば「第十九話・ヒノカミ」を指しているといって間違いないでしょう。
ただ、「神回」と位置づけられる理由はさまざまなところで語られているものの、実はひとつ前の第十八話で、地味に布石が打たれていることには触れられていないようです。
それは、一度見たら絶対に忘れられないあのシーン。
神回だけでなく、ぜひその前の回にも注目して見てみてください。
第十九話が「神回」となった布石は第十八話にあり
第十八話に登場するのは「あの先輩」
第十八話には、出演時間が1分にも満たないあの人が登場します。
「サイコロステーキ先輩」こと、「累に切り刻まれた剣士」です。
「累に切り刻まれた剣士」という呼び方が公式ですが、ここでは親しみを込めて「サイコロステーキ先輩」と呼ばせていただきます。
決してネタで彼の名前を出しているのではありませんよ。本当に重要な役割を担ってくれていたのです。
先輩のおかげで、累の蜘蛛の糸の威力を認識できた炭治郎
サイコロステーキ先輩の登場シーンは、「あの人、別に必要なくない?」な感じで始まります。
那田蜘蛛山に集結したほとんどの鬼殺隊士が鬼に殺されたり術をかけられたりしていく中で、
「仲間の仇(かたき)!」と正義感に燃えるわけでもなく、
「俺の仕事は鬼を1体残らず斬ることだ!」と使命感に燃えているわけでもなく、
「お、丁度いいくらいの鬼がいるじゃねえか。こんなガキの鬼なら俺でも殺(や)れるぜ」
引用:ジャンプコミックス『鬼滅の刃』第5巻
「俺は安全に出世したいんだよ」
「とりあえず俺は、そこそこの鬼一匹倒して下山するぜ」
この心構え、鬼殺隊士としては最低です。
しかし(本人にその意図は全くなかったとはいえ)このシーンで彼はとても重要なことを炭治郎に教えてくれているのです。
「そいつの蜘蛛の糸にかかったら、こうなってしまうぞ!」と。
この一瞬で切り刻まれた先輩の存在により、2つの効果を生み出しているのです。
●炭治郎は「あの蜘蛛の糸に触れたら危険だ!」と認識できた。
⇒ 先輩がいなかったら、普通の蜘蛛の糸を払うようにして腕が切断されていたかもしれない。
●見ている我々も、糸の威力を認識してその動きにハラハラドキドキ。
⇒ 蜘蛛の巣状態の糸が炭治郎に降りかかりそうになる度に、切り刻まれた先輩の姿が脳裏に浮かんでしまう。
この布石があったからこそ、第十九話での累との戦いが、より感動的なものになったと言えるでしょう。
強烈なインパクトを残して一瞬で散ったサイコロステーキ先輩、あなたの功績を私たちは忘れません。
第十九話が「神回」と言われる所以、先輩の供養として触れておきます
十二鬼月との初対決
那田蜘蛛山で戦ったのは、十二鬼月の下弦の伍(ご)・累。
「十二鬼月」とは、全ての鬼の始祖、鬼舞辻無惨の直属の部下に当たる鬼たちのことをいいます。
眼球に刻まれている数字が小さいほど強いことを意味し、いちばん上が「上弦の壱(いち)」、いちばん下が「下弦の陸(ろく)」となります。
鬼殺隊士となった後、いくつかの任務を遂行してきた炭治郎ですが、十二鬼月と戦うのは那田蜘蛛山が初めてでした。
累は、子供のように小さな体ながら、技の鋭さや動きの速さはこれまで戦ってきた鬼たちの比ではありません。
美しい映像で再現された「ヒノカミ神楽」と禰豆子の血鬼術
圧倒的な力の差を見せつけられた炭治郎は、地面に倒れたまま、とうとう累の蜘蛛の糸に刻まれる! と思った瞬間、走馬灯を見ます。
それは子供の頃に見た、父・炭十郎が舞う「ヒノカミ神楽」。実際には使ったことのない「日の呼吸」を使うことをとっさに思いつき、最後の力を振り絞って累に向かっていきます。
一方、蜘蛛の糸に吊り下げられた状態で眠っていた禰豆子(出血により体力を消耗したため、眠ることで回復を図っていた)の夢には、母・葵枝(きえ)が出てきます。
「起きて。今の禰豆子ならできる。頑張って。お兄ちゃんまで死んでしまうわよ」と涙を流しながら訴える母の姿に、目覚めた禰豆子は初の血鬼術「爆血」(鬼の血と鬼本体を燃やすことができる術)を発動。
劇場版のような迫力と映像美の中、炭治郎の日輪刀が(折れていたけれど)累の頸をはねたのです。
「竈門炭治郎のうた」の切なさ
画面全体が赤く燃え上がるシーンで流れる「竈門炭治郎のうた」。
この歌の歌詞は、これまでの炭治郎のセリフや心の描写を引用したものとなっているのですが、「泣きたくなるような優しい音」という部分は、善逸の心の声です。
また、この回のエンディングはいつもの「from the edge」ではなく、再び「竈門炭治郎のうた」が流れました。
背景には、幸せに暮らしていた頃の家族と、二人で寄り添う炭治郎と禰豆子の姿が映し出され、まるで映画のエンドロールのよう。
その終わり方からして、制作者の皆さんにとっては、ファンの間で話題になる前からすでに「神回」だったのかも知れません。
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