継国縁壱(つぎくによりいち)は、原作を最後の方まで読んでいる人でないと「誰?」でしかない人物です。
しかし、関連エピソードはコミック全23巻中、なんと14巻もの中に出てきており「この人なしに『鬼滅の刃』は語れない」と言っても過言ではないほどの超重要キャラクター。
そこで、分散されている情報を整理して、継国縁壱とはどういう人だったのかを見ていきたいと思います。
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継国縁壱(つぎくによりいち)の過去と生い立ちについて
まずは「継国縁壱」という人物について、過去と生い立ち、および子孫に関する情報をまとめてリストアップしてみます。
- 生まれは戦国時代
- 上弦の壱(いち)・黒死牟(こくしぼう)の双子の弟
- 呼吸法を最初に使い始めた剣士 ※縁壱の「日の呼吸」は「始まりの呼吸」とも呼ばれる
- 鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)を死の淵まで追い詰めた唯一の人物
- 子孫は炭治郎ではなく、霞柱・時透無一郎(ときとうむいちろう)
継国縁壱の過去詳細
戦国時代の剣士だった
縁壱が戦国時代の人であることは、兄・黒死牟のセリフにより判明しています。
「400年前のあの日、赤い月の夜だった。私は、信じられぬものを見た。老いさらばえた”弟”の姿が、そこにはあった」
出典:コミック第20巻
まず、黒死牟がこのセリフを言っているのは大正時代(『鬼滅の刃』は大正時代の物語)であり、今から100年程前となります。
そしてそこから更に400年前ということは、今から500年程前ということになりますね。
「戦国時代」というのは、具体的に何年から何年までか、いろいろな説があるようですが、ざっくり「西暦1500年の少し前~1600年頃まで」と考えられています。
つまり、今から500年前は戦国時代に当たるわけです。

原作にはありませんが、テレビアニメの「柱合会議」で、お館様のこんなセリフがあります。
「今ここにいる柱は、戦国の時代、始まりの呼吸の剣士以来の精鋭たちがそろったと私は思っている」
『縁壱』という名前こそ出てきませんが、やはり鬼殺隊にとっても「始まりの呼吸の剣士(=縁壱)」は、ずっと特別な存在だったことが伺えますね。
上弦の壱(いち)・黒死牟(こくしぼう)が語る、弟・縁壱
縁壱の生い立ちは、双子の兄である黒死牟の過去として語られています。
「忌みの子」だった出生時
縁壱の生まれた時代、双子は跡目争いの原因になるため、不吉とされていました。

しかし、母親が烈火のごとく怒り狂い(普段はとても物静かな人だったそうです)手が付けられなくなったため、生かしておく代わりに10歳になったら寺で出家させる手筈になりました。
「縁壱」という名前は、母親が「人と人との繋がりを何より大切に」との思いでつけました。
また、兄(後の黒死牟)には、父親が「強く、いつも勝ち続けられるように」と「巌勝(みちかつ)」という名前をつけています。
剣士の才覚を見せた幼少期
継国家の跡継ぎである巌勝と、いずれ寺に出される縁壱は、部屋も着物も教育も、食べるものさえ大きく差をつけられて育てられました。

弟を哀れに思った兄・巌勝は、父親の目を盗んで弟の部屋へ遊びに行っていました。
しかし、この時期について、縁壱本人はこう語っています。

縁壱は耳が聞こえなかったわけではなかったのですが、母親が「お守り」として作ってくれた「耳飾り」を、大人になってもずっとつけ続けています。
やがて7歳になり、庭で剣の稽古をしている兄の姿を見て、縁壱は自分にも教えてほしいと言うようになりました。
「私(巌勝)に剣技を指南していた父の輩下が、戯れに袋竹刀を持たせた。持ち方と構え方を口頭で軽く伝えただけだった。それだけで、さあ打ち込んでみよと父の輩下は構えた」
出典:コミック第20巻

「私がどれほど打ち込んでも一本取れなかった父の輩下は、瞬きする間に縁壱から四発叩き込まれ、失神した」
出典:コミック第20巻
縁壱が自分よりもはるかに優れていると悟った巌勝は、「後を継ぐのは縁壱で、10歳になったら自分が寺へ行かされる」という不安に駆られます。
そんなとき、母親が急逝したことをいち早く巌勝に知らせに来た縁壱は、「自分はこのまま寺へ発つ」と兄に告げます。

縁壱は、父親に見つかると殴られるにもかかわらず、自分のところへ遊びに来てくれる兄を「とても優しい人」だと思っていて、兄からもらったこの笛をとても大切にしていました。
後に巌勝は「縁壱は自分が跡継ぎに据えられることを知り、身を引くために予定よりも早く寺に発った」ということを知ります。
兄弟が再会した青年期
縁壱が姿を消したあと、兄の巌勝は継国家の跡継ぎとして、妻子と共に平穏な日々を過ごしていました。
しかしある日、野営時に鬼に襲われたところを一人の鬼狩りの剣士に救われます。
その剣士は、幼い日に別れたまま行方知れずになっていた弟の縁壱でした。

自分も剣の技術を極めたいと思った巌勝は、妻子を捨てて自身も鬼狩りの道を歩み始めることになります。
継国縁壱・本人が語った過去
妻との出会いと別れ
7歳のとき、兄の巌勝に「寺へ行く」と告げて家を出た縁壱でしたが、実際には寺には行っていませんでした。
特に目的もなく、ただひたすら走り続けていたところ、山の中で、「流行病で家族がみんな死んでしまって寂しい」という同じ年頃の女の子”うた”と出会います。
そのまま一緒に暮らしはじめた二人は10年後に夫婦となり、やがて”うた”は臨月を迎え、縁壱は産婆を呼びに出かけます。
しかし人助けをしているうちに日が暮れてしまい、家に戻ると、”うた”はお腹の子供とともに殺されていました。

その後、縁壱は鬼狩りの剣士となったのです。
剣士たちへの呼吸法の普及
縁壱はすでに「日の呼吸」を使っていましたが、当時は呼吸を使える剣士がいなかったことから、先輩の剣士たちにも縁壱が呼吸を教えていました。

炎柱・煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)の父で、元炎柱の煉獄槇寿郎(れんごくしんじゅろう)は、縁壱の使っていた「日の呼吸」のことをこう言っています。


煉獄家は代々炎柱の家系だから、父上も先祖が残してきた手記を読んで「始まりの呼吸」のことを知ったようだ。なぜこのセリフを怒って言っているかというと、その「始まりの呼吸」をどうしても使うことができず、派生した呼吸しか使えない絶望と苛立ちを感じていたからだろうな。そしてそれは、兄の巌勝(後の黒死牟)が抱いていた絶望感でもあったようだ。
鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)との遭遇
鬼狩りとなり、呼吸を使える剣士も増えてきたとき、縁壱は鬼の始祖である鬼舞辻無惨と遭遇します。

「恐るべき早さと間合いの広さだった。(中略)擦り傷でも死に至ると感じた。私は生まれて初めて背筋がひやりとした。男には心臓が7つ、脳が5つあった。この瞬間に、私の剣技の型が完成した」
出典:コミック第21巻

この縁壱の攻撃を受けた無惨は体を再生させることができず(これは無惨にとっても初めての経験)自らの体を分裂させて逃げようとします。
散らばった肉片のほとんどを切った縁壱でしたが、わずかに残った肉片(合わせれば人間の頭ほどの大きさだった)を逃がしてしまい、とどめを刺すことができませんでした。


他の剣士たちに責められている中、右端の炎柱だけは彼らを止めようとしているのがわかるかな? 縁壱は鬼殺隊を追われてからも数名の柱たちと連絡を取り合っていて(お館様もそれを黙認していた)炎柱もその一人だったようだ。煉獄家の手記に「始まりの呼吸」のことが詳しく書かれていたのは、そういった経緯もあるのだろうな。

縁壱さんが逃がした「珠世(たまよ)」とは、縁壱さんが無惨に遭遇したときに無惨が連れていた女性です(すでに鬼でした)。騙されて鬼にされたので無惨をとても憎んでいて、それを知った縁壱さんは彼女を逃がし、無惨を倒す手助けを頼んだのでした。また、後に私(禰豆子)を人間に戻す薬を作ってくれたのは、この珠世さんです。

兄の巌勝は、縁壱さんより先に無惨と遭遇していました。「痣(あざ)が発現したものは25の歳を迎える前に死ぬ」と信じていた巌勝は、自身にも痣が発現したことで、「縁壱に追いつけないまま若くして死ぬ」と絶望していたところ、「ならば鬼になれば良い。呼吸を使った剣士を鬼にしてみたい」と無惨に誘われ、鬼になっています。
「私は恐らく、鬼舞辻無惨を倒す為に特別強く生まれてきたのだと思う。しかし私はしくじった。結局しくじってしまったのだ。私がしくじったせいで、これからもまた多くの人の命が奪われる。心苦しい」
出典:コミック第21巻
口数の少ない縁壱が、「誰かに話を聞いて欲しかった」と言って語り始めた自身の過去でしたが、いちばん聞いてほしかったのは、この最後の「心苦しい」部分だったのではないでしょうか。
鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)が感じていた縁壱への脅威
千年あまり生きてきた中で、命を脅かされた唯一の剣士
無惨がどれだけ縁壱に追い詰められていたかは、自身の体を分裂させて逃げていることからも十分に伺えますが、更にこのあと、無惨は縁壱が生涯を終えるまで姿を隠しています。
平安時代に生まれ、その後、ずっと鬼として生きてきた無惨にとっての縁壱への脅威は、最後の無限城で複数の柱から攻撃を受けながらも尚、こう思っていたほどでした。

コミック第22巻

無惨は「日の呼吸」の継承者を恐れていた
無惨は、自身を唯一死の淵にまで追い詰めた縁壱の「日の呼吸」を恐れており、縁壱の死後、日の呼吸の使い手を皆殺しにしています。
浅草で初めて炭治郎と遭遇したとき、炭治郎の耳飾りを見て過剰に反応しているのは、それがかつて縁壱が付けていたものだったからです。

コミック第2巻
すぐに追っ手を放って執拗に炭治郎を殺そうと狙ってきたのは、縁壱と同じ耳飾りを付けている炭治郎を「あの男(=縁壱)と何か繋がりがあるのかも知れない」と警戒していたからに他なりません。


また、上弦の陸(ろく)・堕姫(だき)や、上弦の肆(し)・半天狗が炭治郎と戦っていたとき、無惨の細胞を通して彼らの脳裏にも縁壱が出てきており、無惨の縁壱への脅威は細胞レベルにまで深く浸透していたことが伺えます。

縁壱さんの死後、無惨が「日の呼吸」の継承者を皆殺しにしているにも関わらず、俺が「日の呼吸」を継承することができたのは、竈門家が剣士の家系ではなかったためと考えられます。「日の呼吸」は、竈門家では後に「ヒノカミ神楽」として「舞」の形で伝わっていましたからね。
子孫は霞柱・時透無一郎(ときとうむいちろう)
炭治郎は子孫ではない
縁壱の「耳飾り」と「日の呼吸」は継承しているものの、竈門家は縁壱(継国家)との血の繋がりはありません。
また、縁壱は”うた”の死後は独身を貫いていて子供はおらず、直系の子孫も存在しません。
継国家の子孫は、縁壱の兄・巌勝(みちかつ)から繋がる
巌勝は、縁壱と再会して鬼狩りになる前、妻と子供がいました。
無一郎はその子供から繋がる末裔で、つまり巌勝の子孫、引いては縁壱の子孫にもあたります。

ただ、巌勝の子孫ということは、つまり、上弦の壱・黒死牟の子孫ということになります。
会った瞬間、無一郎が自分の末裔であることを悟った黒死牟は、そのことを無一郎に伝えますが、

最終的に、無一郎は黒死牟に殺されてしまいますが、黒死牟もまた、無一郎の赫刀に刺されたところから体の崩壊が始まり、岩柱・悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)にとどめを刺されています。
継国縁壱と竈門炭治郎の関係
炭治郎の祖先・炭吉(すみよし)の命の恩人
縁壱は妻・うたとの死別後、うたと暮らしていた家を出ています。
人の住んでいない「あばら屋」となっていたその家に移り住んできたのが、炭吉たち竈門家でした。
しばらくして鬼殺隊を追われ、うたと暮らした家に帰ってきた縁壱は、鬼に襲われて逃げ惑う炭吉と臨月の妻・すやこを見つけ、鬼から助けています。
この縁で、その後も縁壱は度々、炭吉たちのところを訪れるようになりました。


縁壱さんが抱いてくれているこの赤ちゃんが生まれるとき、産婆さんを呼びに行ってくれたのは縁壱さんでした。そして、とんでもない早さで帰ってきたそうです。縁壱さんは自分の妻と子供にしてあげられなかったことを炭吉さんたちにしてあげることで、救われていたのだそうです。
「日の呼吸」の継承は炭吉の意志
竈門家は炭焼きの家系で、剣とはゆかりがありませんでしたが、炭吉の妻・すやこが剣の型を見たいとせがむと、縁壱はそれを見せてくれました。
「炭吉さんはそれをつぶさに見ていた。ひとつも取り零(こぼ)さず、その瞳に焼きけた」
出典:コミック第22巻


ああ、縁壱さんはもうここに来ないのだと思った。遠ざかっていく物悲しい後ろ姿に涙が出てきた。
「縁壱さん、後に繋ぎます! 貴方に守られた命で、俺たちが」
出典:コミック第22巻

そしてそれがしっかり守られてきたことを、炭治郎が証明しています。


俺は無惨戦の途中で意識を失っているとき、炭吉さんが見た「縁壱さんの日の呼吸の型」を夢で見ました。そして、ほんのわずかな手首の角度の違い、足の運びの違い、呼吸の間隔を知り、自分の無駄な動きに気づけたんです。
継国縁壱の最期
兄・巌勝(=上弦の壱・黒死牟)との再会
炭吉たちと別れたあとの縁壱の暮らしは明かされていませんが、鬼になった兄の黒死牟により、数十年後まで生存していたことが確認されています。

縁壱と対峙した黒死牟は、老人となっても全盛期と変わらぬ縁壱の剣の腕に驚愕し、次の一撃で頸を落とされることを確信しますが、縁壱は次の手を繰り出す前に、立ったまま寿命が尽きていました。

最期まで大事にしていた笛
寿命が尽き、黒死牟にその亡骸を両断された縁壱の懐には、幼い日に兄から渡された笛がありました。


そしてその後、その笛は黒死牟がずっと持っていたことを、無限城で倒されたときに静かに明らかにされています。

『鬼滅の刃』で「縁壱」という名前が最初に出てくるシーン
『縁壱零式』(よりいちぜろしき)・刀鍛冶の里に伝わる絡繰(からくり)人形
戦国時代から伝わる絡繰人形『縁壱零式』は、実在の剣士の動きを再現して作られていました。
その名のとおり、縁壱をモデルに作られたものであることは想像に難くありませんが、実は『鬼滅の刃』で「縁壱」という名前が最初に出てくるのは、この第12巻の『縁壱零式』なのです。

それまでは「無惨の記憶の中の剣士」、および炭治郎が見た「炭吉の記憶の中の客人」で、名前は明らかにされていませんでした。
その後、「継国縁壱」というフルネームが登場するのは更に先の第20巻で、兄の黒死牟の記憶の中になります。
炭治郎が最初に「炭吉の記憶の中の客人(=縁壱)」を見たのは、遊郭での戦いの後、2か月間気を失っていたときでした。
そして意識を取り戻した後に訪れた刀鍛冶の里で『縁壱零式』を見た瞬間、「この顔を知っている」と感じています。

このとき「その(絡繰人形の原型になった)剣士って誰?」と刀鍛冶の里の少年・小鉄君に聞いたところ「すみません俺もあまり詳しくは・・・戦国の世の話なので」と言われました。ここからも、縁壱さんが戦国時代の人であったことがわかりますね。
『縁壱零式』を打ち負かした剣士に与えられる「刀」
この『縁壱零式』はモデルとなった剣士(縁壱)の動きを再現するために腕が6本もあり、その6本の腕すべてに剣を模した素振り棒が付けられていました。
そんな絡繰人形を相手にした超人的な訓練の末、炭治郎が与えた一撃により、縁壱零式の首が崩れ落ち、中から1本の刀が出てきました。

これは縁壱が実際に使っていたと思われる刀でした。
この時点では錆び付いていて使える状態ではありませんでしたが、炭治郎の刀を打ってくれている鋼鐵塚(はがねづか)さんが研ぎ直して蘇り、炭治郎はその後の無限城での戦いに、この刀に煉獄さんの鍔をつけて挑んでいます。
まとめ
炭治郎の祖先・炭吉さんの記憶によると、継国縁壱という人物は、とても物静かで素朴な人だったそうです。
また、黒死牟の知る縁壱も、幼少期から類い希な剣の才能があったにもかかわらず、剣の話をするときはひどくつまらなそうで、「それよりも兄上と双六や凧揚げがしたい」という素朴な少年でした。
鬼舞辻無惨と出遭ったことで、己の才が何のために与えられたかを悟りますが、だからこそ、無惨を仕留め損ねたことを生涯悔やんでいたのだと思われます。
それでも、縁壱の逃がした珠世の作った薬が無惨を弱らせ、最後は縁壱の編みだした「日の呼吸」から放たれた赤い赫刀(縁壱から炭治郎に渡った刀)が無惨にとどめを刺すことになりました。
大正時代から見ると400年も前の人ですが、縁壱の存在があったからこそ鬼舞辻無惨を倒せたということは間違いありません。
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