総興行収入500億円を突破し、超大ヒットとなった「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」。
その後、Blu-rayとDVDが発売になり、「今は自宅で何度も観ている」という方も多いでしょう。
ところで、原作を読んだ方ならすでにお気づきかと思いますが、この劇場版、原作とは違う場面が何か所かありますね。
「あ、このシーンは原作にないな」とか、「そこの説明はしないのかな?」とか。
そこで、今回はそんな「原作との違いの解説」と、「劇場版で解説されていなかったシーンへの補足」をしていきたいと思います。
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『無限列車編』の劇場版と原作との大きな違い、まず冒頭3つ
お館様のお墓参りのシーン
原作で無限列車編のところをご存じだった方たちは、この冒頭シーンでまず「あれ?ここでお館様?」と思ったのではないでしょうか。
ここは原作にはない、劇場版のオリジナルシーンでした。
ただ、無限列車編よりもだいぶ先で明かされるエピソードではありますが「お館様が亡くなった鬼殺隊員たちのお墓参りをしている」というところは、ちゃんと原作にあるんですよね。
そして、劇場版の最後を締めくくったのもお館様でした。(ここは原作どおり)
炭治郎たちが無限列車へ向かった理由
テレビアニメ第1期では「劇場版・無限列車編」に繋がる最終話で鎹烏(かすがいがらす)にこう指令を出させています。
無限列車の被害拡大。40名以上が行方不明。現地の煉獄杏寿郎と合流せよ。直ちに西へ向かえ。
では原作ではどうなっているのでしょうか?
原作では、そもそも指令が出ていない
なんと、原作では「煉獄杏寿郎と合流せよ」なんて指令はそもそも出ていなかったのです。
これでは善逸が怒るのも無理はありません。
ではなぜ炭治郎たちは無限列車に向かったのか?
炭治郎が、個人的に煉獄さんに聞いてみたいことがあったから、というところが大きいようですね。
聞いてみたいこととは、もちろん「日の呼吸」についてです。
尚、炭治郎は鎹烏から、煉獄さんが任務で「列車」に乗っていることを聞いてはいたものの、「列車」がどんなものかを知りませんでした。
炭治郎と伊之助は、「列車」について現地で善逸から教えてもらって初めて知ったのですが、そこは劇場版と同じ流れです。
俺は都会っ子だから、前にも汽車(列車)に乗ったことがあったのさ。
煉獄さんが善逸と伊之助を名前で呼ばなかった理由
列車内で炭治郎たちが煉獄さんと合流する場面は、劇場版と原作で同じになっています。
そしてこの後、劇場版では炭治郎が善逸と伊之助を煉獄さんに紹介していましたね。
しかし、原作ではそのシーンがなく、この後は炭治郎が「日の呼吸」について尋ねるところまで飛んでいます。
つまり、原作での煉獄さんは善逸と伊之助の名前を知らされていなかったので、見た目で「黄色い少年」「猪頭少年」と呼んでいたのです。
劇場版ではちゃんと名前を紹介されていたのに、それでもそのまま「黄色い少年」「猪頭少年」と呼ばせていたのは、煉獄さんは名前に無頓着な印象があったからかも知れませんね。
数の違い
煉獄さんの「うまい!」の回数
原作で、煉獄さんは「うまい!」を12回言っています。
それでも十分過ぎるほど多いですが、劇場版では更にパワーアップし、17回も「うまい!」と連呼しています。
この「うまい!」のセリフ、アフレコではいろんなパターンで何度も録ったそうで、煉獄さん役の日野聡さんは、それこそ数え切れないぐらい「うまい!」を言っていたのでしょうね。
列車の中で倒した鬼の数
原作では最初の鬼を倒した後に「すげぇや兄貴!」のセリフが来ていますが、劇場版では1体目の鬼を倒した後、
もう一匹いるな。ついてこい!
と続き、2体目と戦う場面がありましたね。
2体目の鬼に向けて刀を抜くときの、左手の親指で鍔を押し上げるこの場面、『柱』の力強さを感じてとてもカッコいいシーンでした。
ちなみにこのときに放った技は「炎の呼吸・弐ノ型、昇り炎天」。
後に出てくる上弦の参・猗窩座に対して最初に放った技と同じですね。
それぞれの『夢』
炭治郎たちは下弦の壱・魘夢(えんむ)の血鬼術で眠らされ、それぞれが「幸せだと思う夢」を見せられていました。
炭治郎の夢
炭治郎は、家族と幸せに暮らしていた頃の夢を見ていましたが、途中でそれが「夢」であることに気付き、後ろ髪を引かれながらも家族を振り切って鬼の頸を斬るために走り出します。
ここはそのとき、禰豆子に呼び止められた場面です。
劇場版では家族全員が追いかけてきていて、禰豆子は「お母さん」としか言っていませんでしたが、原作では「お母さん、六太」と言っています。
原作のこの場面で炭治郎を追いかけてきたのは、母親と六太だけだったからです。
ちなみに六太の「お兄ちゃん、置いて行かないで!」は原作どおりです。
この場面は、炭治郎が心の中で家族全員に語りかけているので、みんなの姿が描かれています。
そして劇場版では、このコマを実際に家族が追ってくる場面に採用したということですね。
炭治郎の夢に入り込んだ青年
炭治郎の「精神の核」を破壊するため、炭治郎の夢の中に進入し、無意識領域に入り込んだ青年が見た光景です。
夢から覚め、炭治郎が戦いに行くときに「ありがとう、頑張って」と言ったこの青年は、最後に自分の胸に手を当てて穏やかな表情を見せていました。
劇場版ではそのことについて何も説明やセリフはありませんでしたが、この原作の「光る小人が心に在る」という場面を静かに描写していたのですね。
家族に責められる場面
父親から責められる場面、原作では「役立たず」と口で言われているだけですが(それでも十分に辛い・・・)、劇場版ではおでこにお椀をぶつけられて、更に辛いシーンになっていました。
しかし、その酷いシーンを見せられた(=自分の家族が侮辱された)炭治郎の怒りは爆発し、本体ではなかったものの魘夢の頸を斬っています。
ここまでユルユルと余裕をかましていた魘夢が、本気モードに移行する場面でもありました。
善逸の夢
禰豆子とデートする幸せな夢の中で見せた跳躍、原作ではこのシーンは本編ではなく、幕間のカットでした。
きっと劇場版の制作スタッフは、善逸のためにこのシーンを本編に入れてあげたかったんでしょうね。
無意識領域に本人がいた理由
善逸と伊之助は、本来は本人(本体)がいるはずのない「無意識領域」に入り込んでいました。
「異常に我が強い奴」、なるほど、そういう理由だったのですね。
劇場版での「あれはなぜ?」2つ
手首に繋がれた縄を日輪刀で絶ち切るのは、なぜ良くない?
最初に夢から覚醒した炭治郎が、仲間たちの縄を切ろうとしたときに「日輪刀で絶ち切るのは良くない気がする」と感じています。
劇場版でもこのセリフはありましたが、本当のところはどうだったのか(絶ち切ってしまったらどうなるのか)が語られていませんでしたね。
もし日輪刀で絶ち切ってしまっていたら、煉獄さん、善逸、伊之助と繋がれていた人たちは意識が戻らなかったのです。
日輪刀は、鬼にとっては(悪い意味で)特別な刀なので、血鬼術にも影響を及ぼすものだったのかも知れません。
炭治郎以外のメンバーはどうやって覚醒した?
炭治郎は、夢の中で自分の頚を斬って(つまり自決して)覚醒しています。
では、他のメンバーはどうやって覚醒したのでしょうか?
魘夢の血鬼術を発動させた切符を禰豆子が燃やしたことで、夢から覚めることができたのです。
確かに、このことを劇場版の本編に入れ込むのは難しい気がしますね。
ただ、劇場版で伊之助が覚醒する直前に、禰豆子が伊之助を燃やしているシーンがありましたので、そのときに切符も燃えたという設定だったのかも知れません。
尚、禰豆子の血鬼術で燃えるのは『鬼』と『鬼に関するもの』(ここでは縄と切符)だけですので、全身から火が出ていても人間には何も問題はないようです。
伊之助の扱い
炭治郎のセリフを伊之助に言わせた
お腹を刺された炭治郎が、「早く鬼の頸を斬らないと」と伊之助を急かしている場面です。
しかしこの場面、劇場版では伊之助のセリフになっています。
早く鬼の頸を斬らねぇと、みんなもたねぇぞ!
この後、劇場版ではもう少し魘夢との格闘が続き、炭治郎と伊之助がお互いを引っ張っていく形で魘夢の頸を斬っています。
この魘夢戦では伊之助の活躍が鍵になっていますので(どこに目を向けているのかわかりづらいとか、感覚が鋭いとか)、炭治郎だけが主体にならないように、伊之助のセリフを増やしたのかも知れませんね。
猗窩座戦の場に到着するタイミング
原作ではここには炭治郎しかおらず、伊之助がここに到着するのはこのほんの少し後です。
しかし、劇場版では煉獄さんの「動くな!」のときにちょうど到着し、炭治郎がビクッとすると同時に、伊之助もビクッとして「気をつけ」の姿勢をとっていました。
命令されるのを嫌う伊之助が、煉獄さんの威厳の前では反発できないことを表していますね。
さりげなく伊之助の登場シーンを増やしていることで、この無限列車編での伊之助の立ち位置の重要さをより感じることができました。
まとめ
この無限列車編の原作では、キャラクターが実際に発するセリフや心の中の声以外で、状況を解説している場面がとても多いです。
劇場版ではそこをキャラクターに語らせ、うまくストーリーを繋げていました。
「原作とは違っていた」とは言っても、それはストーリーやキャラクターへの思い入れをより強くするものであり、原作へのリスペクトはとても感じられました。
原作とアニメーションとの違いを見つけていろいろ考察を楽しめるのも、何度でも観たくなる『鬼滅の刃』という作品ならではの魅力だと思います。
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