柱の1人であり、柱の中では最年少である霞柱・時透無一郎。
主人公の炭治郎よりも年下でありながら、炭治郎よりも早く鬼殺隊に入隊し、鬼との戦いを数多く経験しています。
そして驚くことに、刀を握ってわずか2か月で柱にまで上り詰めることができました!
さらに柱としては唯一上弦の鬼を単独で倒した経験があり、かなりの実力者であることが分かります。
そんな天才剣士とも呼ばれる無一郎ですが、なぜたった2か月で柱にまで上り詰めることができたのでしょうか?
今回の記事では、無一郎がなぜ2か月で柱に上り詰めることができたのか、考察してみようと思います。
- 無一郎が2か月で柱に上り詰めた理由は?
- 柱になるまでに普通はどのくらいかかるの?
- 無一郎に育手はいたの?
などが気になった人は、ぜひこの記事を読んでみてくださいね。
時透無一郎とは?
時透無一郎は柱の1人であり、現在の柱の中で最年少の少年です。
記憶障害があり、昔のことは覚えておらず、新しいこともすぐに忘れてしまいます。
他の柱と同様お館様である産屋敷耀哉のことを尊敬しており、炭治郎が産屋敷の話を遮ってしまった際には石を飛ばして炭治郎を黙らせていました。
刀鍛冶の里での炭治郎との出会いと、玉壺との戦いを経て記憶を取り戻すと、年相応の少年のような表情を浮かべることが増えました。
ぶかぶかの隊服を着ていますが、これはサイズが合っていないというわけではなく、自身の体の動きを相手に予測させないようにする意図があります。
始まりの呼吸の剣士の子孫
無一郎は産屋敷家から直々に鬼殺隊への勧誘を受けた経験があります。
作中では勧誘を受けた隊士は描かれていなかったので、無一郎は唯一の隊士ともいえるでしょう。
その理由は、無一郎が始まりの呼吸の剣士の子孫であったからです。
戦国時代に全集中の呼吸を鬼殺隊に伝えた隊士がいて、無一郎はその子孫でした。
無一郎が始まりの呼吸の剣士の子孫であることを知り、産屋敷家が直々に勧誘に訪れたたのです。
勧誘がきっかけで無一郎は鬼や鬼殺隊のことを知りました。無一郎は鬼殺隊に入るつもりでいましたが、兄の有一郎は鬼殺隊に入ることを認めなかったため、この時は鬼殺隊に入ることはありませんでした。後日ある事件が起き、無一郎は鬼殺隊に入ることになります。
独自の型を生み出す
無一郎が使う霞の呼吸は、五大流派ではないものの、歴史がある呼吸の1つです。
霞の呼吸は全部で6つの型がありましたが、無一郎は独自で7つ目の型を編み出しました。
刀鍛冶の里では、玉壺相手に漆ノ型・朧(おぼろ)を使い、勝利を収めました。
過去
隊士たちの中には、悲しい過去が理由で鬼殺隊を志願する隊士たちも少なくなりません。
無一郎もそんな悲しい過去を持つ隊士の1人でした。
幼いころに両親を亡くす
無一郎は父、母、双子の兄の4人家族でした。
父は杣人(そまびと)を生業としており、無一郎も仕事の手伝い、幸せに生活していました。
ある日、母が病気となってしまい父は母を看病するために嵐の中薬草を探しに行きます。
その時に父は崖から落ちて亡くなってしまい、母も病気から回復することはなく病死してしまったのです。
無一郎はこの時まだ10歳で、それからは兄である有一郎と2人だけで生活することになりました。
唯一の家族であった兄が鬼に殺される
有一郎と無一郎は対照的な性格をしており、優しくおっとりとした無一郎と、厳しく現実的であった有一郎は衝突することが多くありました。
あまりにも有一郎が強く当たるため、無一郎は自分は嫌われていると思うようになっていきます。
11歳になると産屋敷あまねが訪れ、2人が剣士の子孫であることを伝えて鬼殺隊へ誘いました。
無一郎は人々を助けるために鬼殺隊となることに前向きでしたが、有一郎はそれを強く否定。
このことがきっかけとなり、2人はすれ違いが多くなっていきやがて口を利かなくなります。
そんな日々が続きある夏の熱帯夜、2人の家に鬼が侵入し、有一郎に致命傷を与えたのです。
無一郎は今まで感じたことのない怒りを覚え、無我夢中で鬼を返り討ちにします。
有一郎のもとへと戻ると、有一郎は事切れる直前で、小声で無一郎の無事だけを祈っていました。
涙を流し無一郎は有一郎の手を握り、有一郎の体が少しずつ腐っていく様子を見続けていました。
産屋敷あまねに発見され、救出される
重体であった無一郎ですが、兄弟を勧誘するために家に訪れた産屋敷あまねたちによって一命を取り留めました。
この出来事がきっかけとなり、心身ともに衰弱した無一郎は何とか一命を取り留めたものの、後遺症で記憶喪失となりました。
その後無一郎は鬼殺隊に入り、剣を握ってわずか2か月というすさまじい成長速度で柱にまで上り詰めました。
柱になるための条件
2か月で柱になった無一郎ですが、柱になるための条件にはどんなものがあるのか見ていきましょう。
条件① | 階級を甲(きのえ)にまで上げる |
条件② | 十二鬼月を倒す |
条件③ | 鬼を50体倒す |
条件は①を満たしており、②か③のいずれかを達成できれば柱になることができます。
そのため無一郎は階級を甲(※10段階の階級のうち1番上)まで上げ、十二鬼月を倒した、もしくは鬼を50体倒したという事です。
平均だと5年ほどかかる
無一郎は2か月で柱になることができましたが、平均だと入隊から数えて5年ほどかかるという事が判明しました。
早い人でも2年はかかるとされており、無一郎の昇格の早さが異常であることが分かります。
鬼殺隊最強とされる悲鳴嶼でさえ柱になるまでに約1年はかかっているため、かなりのスピード出世ですね。
時透無一郎はなぜたった二ヶ月で柱まで上り詰める事ができたのか
たった2か月で柱にまで上り詰めた無一郎ですが、なぜそんな早く柱になることができたのでしょうか?
その理由を考察していきましょう!
①剣士としての才能があった
まず考えられるのは、無一郎にはもともと剣士としての才能があったという事です。
始まりの呼吸の剣士であった縁壱は、たった1人で無惨と戦い追い詰めることができた鬼滅の刃最強ともいえるキャラクターでした。
さらに縁壱の双子の兄であった黒死牟も、鬼として最強の座である上弦の壱に上り詰め、人間時代は鬼殺隊の中で柱に近い立場にいました。
さらに縁壱と黒死牟は武士の家系であり、無一郎にも剣士としてのポテンシャルがもとから高かったのかもしれません。
②努力家だった
次に考えられるのは、無一郎が努力家であったことでしょう。
「剣を握って2か月で柱になった」と聞くと、どうしても天才だからでは?と思ってしまいますが、無一郎は才能があっただけではなく、強くなるための努力を続けていました。
産屋敷あまねたちによって救助され、産屋敷家で休養していた時、まだ傷も治りきっていない状態にもかかわらず無一郎は稽古をしていました。
才能があったのはもちろんですが、その裏で無一郎は強くなるための努力を欠かさなかったのです。
無一郎の元刀鍛冶である鉄井戸は無一郎の努力を理解してくれていた人の1人でした。無一郎が鬼と戦うために使った刀を見て、無一郎がどれだけ努力しているのかを感じ取っていたのでしょう。亡くなる直前まで無一郎のことを気にかけていたみたいです。
③鬼への強い憎しみ
最後に考えられるのは、鬼への強い憎しみです。
無一郎は有一郎を鬼に殺され、自身も重傷を負って心身ともに限界が来てしまい、その後遺症で記憶を失っています。
しかし、無一郎の中からは記憶は消えてしまっても鬼への強い怒り、憎しみだけは消えませんでした。
記憶を失っていた時の無一郎は冷酷で現実主義な性格をしていましたが、鬼を倒すことが第一という考えを持っていたからでした。
心に残っていた鬼への強い憎しみが原動力となり、無一郎を奮い立たせたのでしょう。
無一郎が鬼を返り討ちにするほどの力を発揮した時も、有一郎を傷つけられて怒りを覚えたことがきっかけになっていました。もとからポテンシャルもあり、鬼への激しい怒りと憎しみがきっかけとなり力を最大限に使うことができるようになったのかもしれないですね。
無一郎に育手はいたのか
隊士たちは基本的に「育手」に鍛えてもらってから最終選別に参加という順序で鬼殺隊に入ることができます。
炭治郎の場合は鱗滝、善逸の場合は桑島が育手にあたります。
天才剣士であった無一郎にも育手はいたのか?という疑問ですが、結論から言うと育手がいたのかどうかは不明です。
ただ無一郎は産屋敷家で療養中であったときに、1人で剣を握って木に打ち込む稽古をしていました。
その時には近くに育手のような人物がいなかったので、独学で剣を学んだのかもしれません。
伊之助も育手はおらず、たまたま出会った鬼殺隊から鬼や呼吸のことを聞き出し独学で全集中の呼吸を習得しました。カナヲも全集中の呼吸については見て学んでいたので、無一郎も独学だった可能性は十分あります。
まとめ
時透無一郎がなぜたった二ヶ月で柱まで上り詰めることができたのか考察しました。まとめると…
・始まりの呼吸の剣士の子孫であり、もともとポテンシャルが高かった
・血のにじむような努力を続け、実力を身につけた
・鬼に対する激しい怒りと憎しみが原動力となった
無一郎は縁壱や黒死牟の子孫であるため、もともとポテンシャルが高かったというのがもちろん理由の1つですが、それに加えて努力家だったことが柱になることができた理由です。
人を守って鬼を倒すことを第一に考えて行動している無一郎は、柱にふさわしい人物と言えるでしょう。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
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