鬼の始祖であり、1000年以上も生き続けている鬼舞辻無惨。
そんな無惨を倒すために、鬼殺隊を立ち上げたのが産屋敷家の一族です。
産屋敷耀哉は97代目当主であり、歴史がある家系であることが分かります。
産屋敷家は何代にも渡って無惨を倒すことに尽力しており、何度も当主が交代しても決して無惨を倒すことを諦めませんでした。
圧倒的な力をもつ無惨も産屋敷家のことを敵対視しており、上弦の鬼たちに産屋敷の居場所を探るように命じていました。
そもそもなぜ無惨と産屋敷家は、長年お互いを敵視しているのでしょうか?
今回の記事では、鬼舞辻無惨と産屋敷家の関係について詳しく解説していこうと思います。
- 鬼舞辻無惨と産屋敷家の関係って?
- 関係はどのくらい続いているの?
- 耀哉が病弱なのは無惨が関係している?
- 無惨と耀哉の顔が似ているのは何か理由がある?
などが気になった人は、ぜひこの記事を読んでみてくださいね。
鬼舞辻無惨とは
鬼舞辻無惨は全ての鬼の始まりといえる人物であり、鬼たちにとっては絶対的な存在です。
上弦の鬼は柱3人分の強さと言われていますが、無惨の強さは別格で、柱たちが束になっても圧倒する力を持っています。
また愈史郎以外の鬼は全て無惨が生み出しており、禰豆子も無惨の力によって鬼に変えられてしまいました。
絶対的な力を持つ暴君
無惨は自分のことを第一に考えており、気に入らないことがあると仲間である鬼でさえも容赦なく手にかけます。
下弦に上り詰めた鬼でさえも例外ではなく、無惨が気に入らない発言をすると、容赦なく殺されました。
また自分の情報が出回ることを恐れており、鬼たちは無惨の名前を口にするだけで死亡するという呪いをかけられています。
血鬼術が便利でお気に入りとされていた上弦の肆・鳴女でさえも、自身がピンチに陥る危険性を感じると、何の躊躇もなくすぐに処分しました。
他の鬼と同じく以前は人間だった
鬼はもとは人間であり、無惨の血を流し込まれることで鬼へと変えられてしまいます。
無惨も例外ではなく、以前は人間でした。
今と変わらず頭の切れる癇癪持ちでしたが、20歳まで生きられないと言われるほど病弱でした。
そんな無惨を少しでも長生きさせたいと思った医者が、無惨の治療を担当するようになります。
無惨は最初は大人しく医者の治療を受けていましたが、病状が一向に回復しないことに腹を立て、後ろから包丁で頭を突き刺して医者を殺害します。
それからしばらくして、医者の薬が効いて体は回復していきました。
しかしそれは体が人間から鬼に変わってきたというもので、代わりに陽の光を浴びれず、人肉を欲するようになります。
人肉を食べることに抵抗がなかった無惨ですが、昼間に行動が制限されることが許せず、太陽を克服するために鬼を増やし、情報を得ようと行動するようになりました。
産屋敷家とは
鬼殺隊を設立し、鬼舞辻無惨を倒すことを悲願としている産屋敷家。
その歴史は長く、平安時代から存在していたとも言われています。
隊士たちを自分の子供のように思っており、特に97代目当主である耀哉は、亡くなった隊士のお墓参りを欠かさずに行っており、全員の名前も覚えていました。
短命の一族
代々産屋敷家の人間は、全員が若くして亡くなっています。
男の子は13歳になるまでは魔除けとして女の子の着物を着用しています。
耀哉の子供の中で唯一の男児である輝利哉も、最終選別の案内人を務めたときは女の子の姿をしていましたが、それはこの魔除けが関係しています。
神職の家系である女性を妻に迎えることで、わずかに余命を伸ばすことができましたが、それでもなお全員が30歳になる前に亡くなっています。
耀哉も兄弟がいましたが、全員が幼くして亡くなっています。
耀哉の父も心が病んでしまい若くして亡くなってしまい、兄弟もいましたが全員が亡くなってしまっていたため、耀哉はわずか4歳であるにも関わらず、鬼殺隊の97代目当主を務めることになりました。
耀哉は現在は23歳ですが、柱稽古の時にはすでに柱合会議に参加することができない状態にまで病状が悪化してしまいました。初登場の時は顔の上部に痕がある状態でしたが、柱稽古の時には体全体に痕が広がり、自分の力で起き上がることも難しい状態になってしまいました。
先を見る力がある
産屋敷家は鬼殺隊の当主として、隊士たちに十分なお給料を支払っています。
柱になればお給料に上限はなく、欲しい分だけもらえるという待遇になります。
また柱たちは住居も与えられており、胡蝶しのぶの蝶屋敷も支給されたものになります。
これだけの資金をどこから集めているのかは詳細は不明ですが、産屋敷家は代々少し先の未来を見ることができる力を持っていました。
その力を使い、産屋敷家は財産を得ていたのではないかと言われています。
鬼殺隊は何度も壊滅の危機に陥りましたが、この力のおかげで壊滅することはありませんでした。
鬼舞辻無惨と産屋敷家の関係とは?
無惨と耀哉と言えば、双子のように見た目が瓜二つですよね。
これには理由があり、実は2人は同じ一族の生まれであるからなのです。
同じ一族に生まれたことにより、産屋敷家は無惨を倒すために鬼殺隊を作り上げたのです。
無惨が鬼になったことで短命になった産屋敷家
平安時代に無惨は医者の調合した薬の影響で鬼となり、人を襲うようになりました。
そして同じ時期に産屋敷家では、一族の人間が次々と短命で亡くなるようになります。
一族を守るため、産屋敷家は神主になぜ自分たちの一族が短命であるか、どうすればよいのかと助けを求めます。
すると神主は、産屋敷家にこう伝えました。
同じ血筋から鬼が出ている
©吾峠呼世晴/集英社 コミック16巻
その者を倒すことに心血を注ぎなさい
そうすれば一族は絶えない
産屋敷家と同じ血筋の生まれである無惨が鬼となり、人々を襲うようになったため、天罰として産屋敷家は短命になってしまったのです。
それを聞いた産屋敷家は、鬼の始祖となった無惨を倒すため、鬼殺隊を立ち上げました。
鬼から人々を守るという使命がある鬼殺隊ですが、設立の理由は「産屋敷家を無惨の呪いから解き放つ」というものだったのです。
無惨は同じ血筋という事を知らなかった
どうやら同じ血筋であるという事を知っていたのは産屋敷家の方のみで、無惨の方は同じ血筋という事は知らなかったみたいです。
耀哉がそのことを告げ、呪いについて話したものの無惨は完全に否定しました。
ただ産屋敷家を訪れた際に、懐かしさや安心感を抱いており、呪いについては認めていないものの、同じ血筋という事には納得しているように見えます。
無惨討伐後に呪いはどうなった?
無惨の呪いのせいで30歳まで生きることができなかった産屋敷家。
耀哉は無惨を倒すため、自身を巻き込んだ爆発で死亡してしまいました。
そのため無惨討伐前に亡くなってしまい、呪いが解けることはありませんでした。
無惨討伐後も産屋敷家として生き残ったのは、98代目当主であった輝利哉、くいな、かなたの3人でした。
3人は呪いの影響を受けることはあったのでしょうか?
輝利哉に呪いは発動しなかった
唯一の男児であり無限城の戦い以降は耀哉に代わって当主を務めた輝利哉ですが、呪いが発動することはありませんでした。
輝利哉自身も自分も20歳ごろまでには呪いの影響で死ぬと思っており、無惨を倒したことで産屋敷家の悲願が達成され、一族も滅びてしまうのではと怯えていました。
しかし20歳を超えても病が発症することはなく、30歳を超えても何も変化が起きなかったため、その時に初めて呪いが消えたことを実感することができました。
その時は、妻と子供たちと抱き合いながら、何時間も涙を流しました。
その後は現代の最高齢記録者に
呪いが解けたことで短命でなくなった輝利哉。
結婚して子供もできて、ようやく平和な暮らしを送れるようになります。
呪いが解けて短命でなくなった輝利哉は、なんと鬼殺隊の子孫たちが登場する現代に登場。
なんと日本最高齢を記録するまで長生きし、テレビの取材を受ける姿が描かれていました。
唯一の鬼の生き残りである愈史郎とは、友達として交流を続けているみたいです。
輝利哉の妹であるくいな、かなたの姿は現代にはありませんでしたが、輝利哉が30歳を超えた時に一緒にいたという情報があったため、2人も呪いからは解放されています。
まとめ
鬼舞辻無惨と産屋敷家の関係について解説しました。まとめると…
・産屋敷家と鬼舞辻無惨は顔が瓜二つで、2人は同じ血筋の生まれ
・平安時代に無惨が鬼になったことにより、天罰として産屋敷家が短命になる呪いにかかる
・無惨を倒せば一族が絶えないと聞き、無惨を倒すために鬼殺隊を作り上げた
・無惨討伐後、産屋敷家として生き残った輝利哉、かなた、くいなは呪いから解放されている
・輝利哉は呪いから解放され、長寿となり日本最高齢記録を更新する
無惨と産屋敷家は同じ血筋であり、無惨が鬼になったことが原因で産屋敷家は短命になるという呪いにかけられてしまいました。
そしてその呪いから一族を開放するため、無惨を倒すことを目的とした組織である鬼殺隊を作り上げたのです。
無惨と産屋敷家との因縁は1000年近く続いており、顔だけではなく目的を達成するための想いの強さも同じくらい強いですよね…。
柱稽古編のアニメではいよいよ2人が対峙する場面があるので、どんな風に描かれるのか楽しみです!
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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