柱が死亡した年齢は?最期まで戦い続けた勇姿と壮絶な最期について解説※

冨岡義勇(とみおか ぎゆう)

鬼殺隊の剣士の最高位であり、鬼殺隊を支える存在でもある柱。

一般隊士たちでは難しい任務を任されることが多く、強い鬼と戦う機会も多いです。

元柱である鱗滝や桑島のように引退後に育手となる人もいれば、若くして任務で死亡してしまうことも。

そこで今回の記事では、鬼との戦いで死亡した柱の年齢について解説していこうと思います。

  • 死亡した柱は誰?
  • 死亡した時の柱の年齢は?
  • 生き残った柱たちは何歳まで生きた?

などが気になった人は、ぜひこの記事を読んでみてくださいね。

死亡した柱とは

炭治郎が鬼殺隊に入隊した時には柱の席は全て埋まっており、全員で9名でした。

その中で戦いで死亡した柱は6名で、全員が上弦や無惨との戦いで命を落としています。

炎柱・煉獄杏寿郎
蟲柱・胡蝶しのぶ
霞柱・時透無一郎
岩柱・悲鳴嶼行冥
恋柱・甘露寺蜜璃
蛇柱・伊黒小芭内
死亡した柱一覧

上弦の強さは柱3人分にも匹敵すると言われており、鬼殺隊で最強の剣士と言われている柱でさえも、上弦の強さは異次元で、全員が生き残ることはできませんでした。

柱が死亡した年齢

戦いで死亡した柱は6名と判明したので、順番に死亡した時の年齢について見ていきましょう。

死亡した柱たちの年齢はいくつだったのでしょうか。

1.煉獄杏寿郎

©吾峠呼世晴/集英社 アニプレックス・ufotable

煉獄は無限列車での戦いで突如現れた上弦の参・猗窩座との戦いで死亡します。

この時の煉獄の年齢は20歳で、現代でいうと大学生くらいの年齢でした。

父と弟と暮らしていましたが、父は酒に溺れる日々を送っており、煉獄が弟である千寿郎の支えとなっていたからか年齢よりも精神がかなり成熟している印象です。

最期に炭治郎たちに想いを託す

あと一歩のところで猗窩座に逃げられてしまった煉獄。

もう自分は死ぬと悟り、共に戦った炭治郎に家族への伝言を頼みます。

そして最後に、炭治郎たちに自分の想いを託したのです。

竈門少年 猪頭少年 黄色い少年 もっともっと成長しろ
そして今度は君たちが鬼殺隊を支える柱となるのだ
俺は信じる 君たちを信じる

©吾峠呼世晴/集英社 コミック8巻

想いを伝えた後、煉獄は亡くなった母親の姿を見つけ穏やかな笑顔を見せて息を引き取りました。

煉獄の言葉は炭治郎たちを支え、炭治郎たちは最期まで戦い抜くことができたのです。

2.胡蝶しのぶ

©吾峠呼世晴/集英社 アニプレックス・ufotable

しのぶは無限城での戦いで上弦の弐・童磨との戦いで死亡します。

この時のしのぶの年齢は18歳で、現代でいうと高校3年生~大学生くらいの年齢でした。

しのぶは両親を幼いときに鬼によって殺され、さらに鬼殺隊になってから姉のカナエを童磨によって殺されています。

カナエが生きていた時は勝気な性格をしていましたが、カナエが亡くなり自分が蝶屋敷を支える立場となったからなのか、18歳とは思えないほど大人びた性格になりました。

自分の命を懸けて姉の仇を討つ

柱の中で唯一鬼の首が斬れず、鬼を殺すことができる毒を開発したものの、毒では上弦の鬼を殺すことができないと考えていました。

そこでしのぶは自身に高濃度の藤の花の毒を巡らせ、その状態で童磨に食べられるという作戦を実行することにしたのです。

無限城での戦いで最後は童磨がしのぶの全身の骨を折り殺害し、その後しのぶは童磨に吸収されてしまいました。

しかしこれがしのぶの真の狙いであったこととは童磨は気付くことができず、高濃度の毒で弱体化した童磨はカナヲと伊之助によって首を斬られます。

必ず私が鬼を弱らせるから カナヲが頸を斬ってとどめを刺してね

©吾峠呼世晴/集英社 コミック19巻

柱稽古の時にしのぶはカナヲに作戦を伝えており、カナヲはしのぶとの約束を果たしました。

3.時透無一郎

©吾峠呼世晴/集英社 アニプレックス・ufotable

無一郎は無限城での戦いで上弦の壱・黒死牟と戦い死亡します。

この時の無一郎の年齢は14歳で、現代でいうと中学2~3年生の年齢でした。

14歳とは思えないほどしっかりしていて、黒死牟と対峙した時に動揺を見せたものの、その後はすぐに落ち着きを取り戻しています。

一方で炭治郎たちと過ごした何気ない日々の回想シーンでは、年相応な笑顔を見せることもありました。

仲間の為に命を懸ける

痣を発現させた状態で黒死牟に挑みましたが、黒死牟の異次元な速さに反応できず、重傷を負ってしまう無一郎。

体も小さく、このままでは失血死すると分かった上で無一郎は戦場に戻ることを決意します。

黒死牟の攻撃から仲間たちを守る為、体が両断されても無一郎は攻撃の手を緩めませんでした。

無一郎の命を懸けた行動により、実弥と悲鳴嶼は何とか黒死牟を倒すことに成功します。

僕は何からも逃げなかったし目を逸らさなかったんだ
仲間の為に命をかけたこと 後悔なんてしない

©吾峠呼世晴/集英社 コミック21巻

死後の世界で双子の兄・有一郎と再会した無一郎はまだ14歳であったにも関わらず、最期まで戦いから目を逸らさずに命を懸け、仲間たちを勝利へと導きました。

4.悲鳴嶼行冥

©吾峠呼世晴/集英社 アニプレックス・ufotable

悲鳴嶼は最終決戦での無惨との戦いで死亡します。

この時の悲鳴嶼の年齢は27歳で、柱の中では最年長です。

最古参の柱であり最年長であるからか、常に冷静で個性的な柱たちのまとめ役も担っています。

寺で生活を共にした子供たちと再会

黒死牟との戦いで消耗していたものの、遅れて無惨との戦いに参加した悲鳴嶼。

冷静に戦況を読み、無惨との戦いの最中でも透き通る世界を使いこなしています。

しかし無惨が突如放った衝撃波から伊之助をはじめとした他の隊士たちを庇ったことで、左足の膝から下を失ってしまったのです。

それでも愈史郎たちの手当てを受け、満身創痍の状態で最後まで戦い続けました。

無惨が消滅した後、悲鳴嶼の前に現れたのはかつて寺で共に生活していた子供たちでした。

そうか‥ありがとう‥
じゃあ行こう‥皆で‥行こう‥

©吾峠呼世晴/集英社 コミック23巻

子供たちは悲鳴嶼を守るために行動してくれていたという真実を知り、優しい笑みを浮かべながら亡くなりました。

5.甘露寺蜜璃

©吾峠呼世晴/集英社 アニプレックス・ufotable

甘露寺は最終決戦での無惨との戦いで死亡します。

この時の甘露寺の年齢は19歳で、現代でいうと大学生くらいの年齢でした。

家庭環境も良く、他の柱と比べると鬼に対する恨みはあまりなかったためか、甘露寺は年相応の印象が強いです。

伊黒に自分の気持ちを告白

何とか夜明けまで持ちこたえ無惨を倒したものの、甘露寺は無惨との戦いで致命傷を負ってしまいました。

無惨の一撃で意識を失っていた甘露寺でしたが、伊黒の腕の中で意識を取り戻します。

甘露寺は戦いの中で役に立てなかったことを伊黒に謝りますが、伊黒はそれをすぐさま否定し、自分が甘露寺によって救われていたと告げたのです。

伊黒の想いを知った甘露寺は、泣きながら自分の本心を伊黒に伝えました。

わああん嬉しいよぉ わたしっ…私伊黒さんが好き
伊黒さんと食べるご飯が一番美味しいの
だって伊黒さんすごく優しい目で私のこと見ててくれるんだもん
伊黒さん伊黒さんお願い 生まれ変われたら また人間に生まれ変われたら
私のことお嫁さんにしてくれる?

©吾峠呼世晴/集英社 コミック23巻

添い遂げる殿方を見つけたいという理由で鬼殺隊となった甘露寺ですが、最期に大好きな人と結ばれ、伊黒に抱きしめられながら亡くなりました。

ずっと伊黒のことが好きだった甘露寺ですが、お見合いのトラウマと伊黒の優しさは自分が特別というわけではない思っていたので、告白することができないでいました。最後にお互いの気持ちが実って本当によかったです…。

6.伊黒小芭内

伊黒は最終決戦での無惨との戦いで死亡します。

この時の伊黒の年齢は21歳で、現代でいうと大学生〜社会人くらいの年齢でした。

普段は冷静で実年齢よりも精神面は大人びていますが、炭治郎と甘露寺が仲良くしていると知ると、炭治郎に対して冷たく接したりと大人気ない一面もあります。

甘露寺の想いに応える

無惨との戦いで、柱として後輩の炭治郎を何度も無惨の攻撃から庇った伊黒。

視力は失われ致命傷を負い、無惨を倒した後に同じく致命傷を負っていた甘露寺を抱えて2人で最後を過ごしました。

自分を卑下する甘露寺に対し、伊黒は自分や鬼殺隊にとって甘露寺がいかに大切な存在であったかを伝えます。

君と話しているととても楽しい
まるで自分も普通の青年になれたようで幸せだった
他の皆もきっと同じだったよ
底抜けに明るく優しい君は たくさんの人の心をも救済している 胸を張れ
俺が誰にも文句は言わせない

©吾峠呼世晴/集英社 コミック23巻

その後甘露寺から告白され、伊黒は甘露寺の想いに応え来世で幸せにすると誓い、亡くなりました。

生き残った柱たちは何歳まで生きた?

最終決戦後も生き残った柱は水柱・冨岡義勇、風柱・不死川実弥です。

すでに柱を引退している元音柱・宇髄天元も含めると全員で3人の柱が生き残りました。

以前はそこまで交流が無かった3人でしたが、その後は食事や旅行に行ったりと仲良くしていたようです。

3人の柱たちは何歳まで生きていたのでしょうか?

冨岡と不死川は痣の寿命で亡くなる?

©吾峠呼世晴/集英社 アニプレックス・ufotable

冨岡と不死川はどちらも21歳であり、それぞれ上弦との戦いの中で痣を発現させました。

痣を発現した場合、身体能力が飛躍的に向上するというメリットがありますが、25歳になる前に死亡するというと言われています。

寿命の前借りとも言われており、痣を発現させた状態は体に負担が大きいみたいです。

おそらく冨岡と不死川も最終決戦で痣を出し続けて戦っているため、痣の寿命で25歳を迎える前に亡くなっていたと考えられます。

悲鳴嶼は痣を出した時は27歳でしたが、年齢を越えてから痣を出しているため、痣の代償が少なくすぐに死亡することはなかったのでしょう。

唯一痣の寿命の影響を受けなかったのは継国縁壱で、縁壱は生まれながらに痣を発現させ透き通る世界が見えていました。

縁壱にとって痣と透き通る世界が見えることは普通であったため、80歳を超えても生き続けることができたのでしょう。

宇髄は柱の中で最も長く生きた

©吾峠呼世晴/集英社 アニプレックス・ufotable

冨岡と不死川が痣の寿命で亡くなったと考えると、柱で最も長生きすることができたのは宇髄天元となります。

宇髄は最終決戦の時には23歳であり、遊郭編で妓夫太郎と堕姫を倒した後に柱を引退しました。

初めての痣者となった炭治郎が痣を発現さえたのが、妓夫太郎との戦いの最後であったため、宇髄は痣を発現することはなかったのです。

大正時代の男性の平均寿命は約40~50歳と言われていますが、一般人よりもはるかに身体機能が優れている宇髄であれば、60~70歳までは生きていそうですよね。

まとめ

©吾峠呼世晴/集英社 アニプレックス・ufotable

柱が死亡した年齢について解説しました。まとめると…

水柱・冨岡義勇死亡年齢は不明。痣の寿命で24歳に亡くなった可能性が高い
蟲柱・胡蝶しのぶ童磨との戦いで18歳で死亡
炎柱・煉獄杏寿郎猗窩座との戦いで20歳で死亡
音柱・宇髄天元死亡年齢は不明。60~70歳くらいで亡くなっていた?
霞柱・時透無一郎黒死牟との戦いで14歳で死亡
恋柱・甘露寺蜜璃無惨との戦いで19歳で死亡
岩柱・悲鳴嶼行冥無惨との戦いで27歳で死亡
風柱・不死川実弥死亡年齢は不明。痣の寿命で24歳に亡くなった可能性が高い
蛇柱・伊黒小芭内無惨との戦いで21歳で死亡
柱の死亡した年齢一覧

戦いで死亡した柱は6人、寿命で死亡したのは3人となりました。

宇髄を除けば、柱たちは10代20代で死亡していることになります…。

早くに亡くなった柱が多いですが、全員が自分のやるべきことを全うしていて、その姿に多くの読者が心を動かされました。

劇場版も第二章、第三章の公開が控えていますが、引き続き柱や炭治郎たちの勇姿を目に焼き付けていきましょう!

ここまでお読みいただきありがとうございました!

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