「なぜ柱たちは、お館様をあんなに尊敬しているんだろう?」
そう疑問に思ったことがある方も多いのではないでしょうか。
テレビアニメでは、まだそのカリスマ性を感じる場面がほとんど出てきていませんが、お館様である産屋敷耀哉(うぶやしきかがや)がどんな思いで鬼殺隊を率いているのか?
柱たちにはどんな言葉をかけ今の関係となったのか、そこを読んでいくと、お館様の尊敬される所以(ゆえん)がわかります。
お館様・産屋敷耀哉(うぶやしきかがや)が柱や鬼殺隊に尊敬される所以(ゆえん)
鬼殺隊員は全員「私の子供たち」
お館様は、鬼殺隊員のことを「私の子供たち」と言っていて、それがうわべだけのものではなく、本当に自分の子供のように大切に思っていることが、この胡蝶カナエのセリフからも伺えます。
「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」は、お館様が亡くなった鬼殺隊員たちの名前を呼びながらお墓参りをしているシーンから始まります。
これは原作の無限列車編にはないシーンなのですが、「テレビアニメの続きからそのまま」ではなく、敢えてそのシーンが挿入されていることで、炭治郎たち鬼殺隊員に課せられる任務がどれほど過酷なものなのかと、気を引き締めさせられます。
重体の「子供」のお見舞いに直接出向く
この場面は、炭治郎の重体度から考えて、遊郭の任務の後ではないかと思われます。
しかし、遊郭の直後のお館様はこのような状態でしたので、とてもお見舞いなどできるようには見えませんね。
それでも後ろに立っている妻の「あまね様」に付き添われ、蝶屋敷まで来てくれたのでしょうか。
自分への護衛は絶対つけない
こう思っているのは他の柱たちも同じなのですが、絶対に聞き入れてもらえず、「柱という貴重な戦力は、己一人のために使うものではない」との一点張りでした。
産屋敷家の歴代当主は、誰一人として護衛をつけなかったそうです。
自分を守ってもらおうなどとは微塵も思っておらず、仮に自分に何かあっても良いように、子供たちには幼い頃から後継者となるための教育をしています。
炭治郎たちの最終選別の後、玄弥が白髪(しろかみ)の子に「刀をよこせ」と乱暴し、炭治郎が止めに入ったあとの黒髪(くろかみ)の子のセリフです。
白髪も黒髪もお館様の子供で、産屋敷家に生まれたこの子たちは、これぐらいのことで動じることは全くないのでしょうね。
黒髪の子は実は男の子で、お館様の後継者「輝利哉(きりや)」くんです。
産屋敷耀哉(うぶやしきかがや)が各柱たちに言葉をかけたシーン
お館様に言葉をかけられているシーンが実際にはどんな順番だったのか、それは、お館様の病の進行具合から推測することができます。
岩柱・悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)
当時のお館様は14歳、悲鳴嶼さんは18歳でした。
まだこのときは病に冒されていなかったのか、とても綺麗なお顔をしていますね。
お館様のセリフから、悲鳴嶼さんが周りから「人殺し」だと疑われていたことがわかります。
悲鳴嶼さんはかつて、身寄りの無い子供たちとともにお寺で平和に暮らしていたのですが、ある日、その中の一人の子供がお寺に鬼を招き入れたことによって全てを失います。
ほとんどの子供たちは殺されてしまいましたが、ひとり残った4歳の女の子・沙代(さよ)を守るため、悲鳴嶼さんは鬼と戦いました。
ただ、まだこのときは日輪刀を持っていなかったので、鬼を死に至らしめることはできませんでした。
更に、必死で守った沙代は「あの人がみんなを殺した」と証言しています。
しかし、沙代の言った「あの人」が、悲鳴嶼さんではなく『鬼』を指していたとは誰も知らず(悲鳴嶼さん本人も自分を指していると思っていた)、悲鳴嶼さんは人殺しとして投獄されてしまったのです。
お館様が救ってくださらねば、私は処刑されていた。このことがあって私は疑り深くなった。だから竈門炭治郎が鬼殺隊本部に連行されたときも、私は「子供の言うことは信用ならない」と思っていたのだ。
「お寺に鬼を招き入れた子供」は、後に俺の兄弟子となる『獪岳(かいがく)』だった。俺はそんな過去は知らなかったけど、逆に悲鳴嶼さんは、後に獪岳が鬼になってしまっていたことを知らなかったんだろうな。
音柱・宇髄天元(うずいてんげん)
左目に、少し病の兆しが見え始めていますね。
宇髄は忍(しのび)の家系に生まれましたが、兄弟同士で殺し合いをさせたり、妻や部下のことは駒としか思っていなかったり、そんな一族の根本的な価値観を受け入れることができませんでした。
そして3人の嫁とともに一族を抜け、自分たちだけで生きていく道を選んだのです。
それでも、一族を裏切ったことへの後ろめたさはずっと感じていて、それを救ってくれたのがお館様の言葉でした。
風柱・不死川実弥(しなずがわさねみ)
左目だけでなく、右目の方にもだいぶ病が進行してきていますね。
なぜお館様が謝っているのかというと、不死川実弥にこう言われたからです。
「頭にくるんだよ。人が苦しんでいるっていうのに、笑っている奴が。自分の手を汚さず、命の危機もなく、一段高い所から涼しい顔で指図だけするような奴が」
コミック第19巻
しかし、こんなことを言われてもお館様は全く動じず、他の柱が止めようとしても構わず、実弥の言いたいことを言わせています。
そしてただ言わせておいただけではなく、ちゃんとその理由も説明してくれているのです。
「刀は振ってみたけれど、すぐに脈が狂ってしまって十回もできなかった。叶うことなら、私も君たちのように体ひとつで人の命を守れる剣士になりたかった。けれどどうしても無理だったんだ。つらいことばかり君たちにさせてごめんね」
コミック第19巻
そしてこの後、お館様は下に降りて、実弥に直接手紙を渡しています。
「匡近(まさちか)」とは、実弥が鬼殺隊に入る前に知り合った先輩剣士で、お館様が渡したのはその匡近の遺書でした。
実弥は匡近が紹介してくれた育手の下で修業し、やがて鬼殺隊に入ります。
そして二人で当時の『下弦の壱』を倒し、柱になる条件を満たしたのですが、匡近はこの戦いで命を落としており、柱になったのは実弥だけ。
そのことが、実際に戦いの場へ出向くことのないお館様に対する苛立ちへつながっていたのでした。
「匡近の遺書と自分の気持ちは同じ」と言ったお館様に対し、実弥はその後、他の柱たちと同じようにお館様を敬うようになります。
ここにいるメンバー(岩柱の悲鳴嶼行冥、音柱の宇髄天元、花柱の胡蝶カナエ、水柱の冨岡義勇)が、実弥よりも先に柱になっていた人たちということになりますね。
また、ここには姿がありませんが、当時の炎柱は煉獄槇寿郎(煉獄杏寿郎の父)でした。
炎柱・煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)
こちらは『外伝』の一コマで、『下弦の弐』を倒した煉獄杏寿郎が父親に代わって炎柱に就任した場面です。
小さくて分かりづらいですが、このときのお館様の病は、実弥の時よりも更に進行しています。
もう少しお館様のお顔がアップになっているカットもあったのですが、原作者・吾峠呼世晴(ごとうげこよはる)先生の画ではなく、他の場面と並べて載せるには少し違和感があったので、敢えて小さいカットにさせてもらいました。
また、左下コマの柱のメンバーで、宇髄と義勇の間にいるのは蟲柱の胡蝶しのぶです。
つまり、この時すでに胡蝶カナエは亡くなっていて、不死川実弥の次に柱になったのは胡蝶しのぶ、その次が煉獄杏寿郎だったということになります。
霞柱・時透無一郎(ときとうむいちろう)
このときはもう左目の下まで爛れていて、視力にもかなり影響していたかも知れません。
無一郎は10歳のときに両親を亡くし、11歳のときに兄と共に鬼に襲われ、兄の有一郎が亡くなっています。
無一郎は命を取り留めたものの、精神的なショックからか、体が快復していても心を回復させるのに時間がかかりました。
それでも、お館様は無一郎が必ず自分の心を取り戻すと信じていたのです。
恋柱・甘露寺蜜璃(かんろじみつり)
普通の人よりも筋肉の密度が8倍もある蜜璃は基礎代謝がものすごく高く、常人よりもずっと多くのエネルギーを摂取する必要があるためにたくさん食べているのですが、そのことで男性に敬遠されてしまうこともしばしば。
また、その筋肉密度の高さによる腕力の強さも、女性であるが故に認めてもらうことが難しかったのです。
それでも、鬼殺隊に入ってからはみんなに認められ、助けた人たちからは感謝され、自分らしさを取り戻すことができました。
いちばん最後に『柱』になったのは甘露寺蜜璃?
かつて蜜璃は煉獄さんの継子だったので、柱になったのは煉獄さんよりは後ということになりますね。
更にこの場面のセリフから、蛇柱の伊黒小芭内よりも後だった可能性が高いと思われます。
そして更にこの場面(本編外ですが)。
これは幕間にある「描きおろし8コマ みつりちゃんの隊服」の最後の1コマです。
柱合会議で初めて会ったしのぶちゃんの隊服は、私のとは違ってて普通にボタンを閉めてたんだけど、しのぶちゃんも、最初は私のような胸元が大きく開いた隊服を渡されていたんですって。でもすぐに前田さん(鬼殺隊服の縫製係)の目の前でそれを燃やしたんだそう。。
そしてしのぶのセリフで注目すべきなのはアオイの名前が出ていること。
アオイは時透無一郎と同じ年に最終選別を受けているので、2人が鬼殺隊員になった時期は同じです。
この宇髄のセリフから、無一郎は「刀を握る → 選別を突破する → 柱になる」の期間がたった2か月だったことがわかります。
ここで情報を整理しますと、
- 蜜璃が柱になった時点で、すでにアオイは鬼殺隊員になっていた。
- アオイと鬼殺隊同期の無一郎も同じタイミングで鬼殺隊員になっている。
- 無一郎は鬼殺隊に入ってから柱になるまでの期間が短い(おそらく長くて1か月程度)。
以上のことから、無一郎は蜜璃よりも先に柱になっていた可能性が高いと思われますが、もし蜜璃が先だったとしても、無一郎はそのすぐ後に柱になっていたことは間違いないですね。
産屋敷耀哉(うぶやしきかがや)の持って生まれたカリスマ性
『まなざし』
「親が我が子に向ける溢れるような慈しみ」、これは「本当の子供」か、「本当の子供だと思っている人」にしか向けることは出来ないのではないでしょうか。
つまり、お館様の言う「私の子供たち」という言葉は、ここでも「嘘偽りのない本心」だということがわかりますね。
『声』
「1/fゆらぎ(エフぶんのいち・ゆらぎ)」、なんだか難しい言葉ですね。
1/f(えふぶんのいち)ゆらぎは、規則性と突発性、予測性と逸脱性が適度に組み合わさったゆらぎで、居心地のよい空間と情報を与え、人の心を落ち着かせるといわれています。
引用元: 1/fゆらぎとは|心地よさとの関係
暖炉や焚火の火、ろうそくの炎、星の瞬き、小川のせせらぎ、滝の音、波が打ち寄せる音、木々のそよぐ音。それら1/fゆらぎに触れていると、時間を忘れます。
説明が下手な炭治郎でなくとも、この感覚を言葉で説明するのは難しいでしょうね。
『言葉』
慈しむようなまなざしで、心地良い声色で、更に「欲しくてやまない言葉」をかけられたら、もうひざまづくか泣くしかないかも知れません。
まとめ
代々鬼殺隊の当主である産屋敷家に生まれたことで、最前線で戦う鬼殺隊士よりも更に過酷な運命を背負わされていたお館様。
最期は、後継者である子供たちも含め、残された者たちの力を信じて自ら鬼舞辻無惨に対する「おとり」となり、この世を去りました。
常に隊士が数百人いると言われる鬼殺隊を統率するのは、並大抵の覚悟で出来ることではありません。
しかし、力で従わせることはなく、鬼殺隊士たちを「私の子供たち」と慈しみ、その思いは最後まで変わることはありませんでした。
最前線で戦う柱をはじめとする隊士たちとのこの信頼関係があったからこそ、無惨を倒すことができたのでしょうね。
「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」の冒頭シーンは、このお墓参りをアニメーションにしたもので、制作スタッフからもお館様へのリスペクトを感じられる、とても美しいシーンでした。
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