先代当主、お館様こと産屋敷耀哉(うぶやしき かがや)亡き後、九十八代目当主となった産屋敷輝利哉(うぶやしき きりや)。
産屋敷輝利哉は、よわい八歳にして無限城で愈史朗や兄妹の助力を得ながらも、陣頭指揮をとり見事に役割を果たします。
また鬼撫辻無惨を倒した後、最終話で日本人最高齢として登場しています。
産屋敷輝利哉(うぶやしき きりや)はいつ登場し、物語でどのような活躍をしたのか。
この記事では産屋敷輝利哉について詳しく解説していきたいと思います。
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産屋敷輝利哉(うぶやしき きりや)初登場
産屋敷輝利哉(うぶやしき きりや)の初登場は竈門炭治郎、我妻善善一、不死川玄弥、栗花落カナヲが参加した藤襲山(ふじかさねやま)での最終選別の進行役として兄妹と共に登場します。
しかしこの時は女児の恰好で登場しますが、代々男児は病弱とされる産屋敷家では、齢十三歳まで女児として育てられるようです。
その後の登場シーンは、堕姫と妓夫太郎を倒したことを知り喜びの顔を見せる産屋敷耀哉が、その後血を吐き咳きこんだ時に「父上!!」と駆け寄った際であり、それ以降の登場は無限城戦となります。
産屋敷輝利哉(うぶやしき きりや)の両親は?
産屋敷輝利哉(うぶやしき きりや)の両親は、鬼殺隊の最高位当主である産屋敷耀哉(うぶやしき かがや)と、その配偶者である産屋敷あまね。
5人いる実子の長男になります。
産屋敷耀哉(うぶやしき かがや) は、代々早逝(そうせい)することが多い産屋敷家において卓越した先見の明を持ち、鬼撫辻無惨打倒に全霊をかけており、鬼殺隊の在り方を示しています。
父親である産屋敷耀哉(うぶやしき かがや) は、産屋敷邸において鬼撫辻無惨と対峙し、妻である「あまね」、ご息女「にちか」「ひなき」と共に自らしかけた爆発により自爆。
鬼撫辻無惨を弱体化させ柱や珠世に後を託しました。
産屋敷輝利哉(うぶやしき きりや)が鬼殺隊の当主になったのはいつ?
産屋敷輝利哉(うぶやしき きりや)は産屋敷耀哉亡き後、たった八歳にして、産屋敷家の当主となります。
その年齢で初めての陣頭指揮が無限城にて鬼撫辻無惨、上弦の鬼との戦いですから尋常でないです。
また、愈史郎の協力の元「眼」を用い妹たちと無限上の見取り図を作成し隊士たちの位置を把握しました。
一時窮地に追い込まれ絶望しかけますが、兄妹である「かなた」「くいな」に強くたしなめられ、気持ちを持ち直し決意を新たに指揮をとります。
産屋敷輝利哉(うぶやしき きりや)は何歳まで生きた?
最終話での産屋敷輝利哉(うぶやしき きりや)の年齢は117歳です。
鬼滅の刃の最終回の現代が2020年だとすると117=2020-XとなりX=1903ですから、生まれた年は1903年となります。
ちなみに現在日本人最高齢は「田中力子さん」(2022年現在119歳)であり明治36年1月2日生まれだそうです。
産屋敷輝利哉とほぼ同じ年齢ですね。
代々短命であった産屋敷家において、産屋敷輝利哉がこれ程長寿になったのはなぜでしょうか?
その謎は明かされていませんが、八歳という若さで鬼撫辻無惨を倒したため、病気にかかる前に長年続いてきた呪いが解けたと考えられます。
歴代の当主の鬼撫辻無惨を倒したのだからせめて現当主には、長生きして欲しいという願いみたいなものもあるのかもしれません。
まとめ
産屋敷輝利哉(うぶやしき きりや)は齢八歳にして鬼殺隊の最高位である当主になりました。
類まれなるセンスで、陣頭指揮を執り見事に役目を果たします。
途中、絶望しかけますが兄妹の激励もあり持ち直しました。
普通でしたら、両親が亡くなって直ぐにこんな過酷な試練は耐えられないと思いますが、九十八代繋いできた想いが可能にさせるのでしょうか。
最終話で現代まで生きてる姿は可愛らしくなんだか「ほっこり」させられました。
歴代当主が早逝だったため、産屋敷輝利哉だけでも長生きできて良かったのではないでしょうか。
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