強い精神と肉体を持ち、明朗快活で強靭な精神を持つ、炎柱・煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)。
「鬼滅の刃」無限列車編にて、杏寿郎は壮絶な死を迎えてしまいます。
杏寿郎の最期の雄姿に号泣してしまったという方も少なくないでしょう。
今回は、そんな煉獄杏寿郎の死亡シーンを振り返っていきたいと思います。
煉獄杏寿郎の死亡シーン・死因
死への序章
当初、杏寿郎が無限列車に乗り込んだ理由は、下弦の壱・魘夢の討伐でした。
そこへ、杏寿郎にヒノカミ神楽のことを聞き出したい、主人公竈門炭治郎と背中に背負った妹の禰豆子、炭治郎に付いてきた我妻善逸、嘴平伊之助の4人が合流。
この任務は、犠牲者を出すことなく、5人で力を合わせ、魘夢の討伐に成功しました。
炭治郎が負った傷を労う杏寿郎。
そんな中、突如、上弦の参・猗窩座が、杏寿郎と炭治郎の目の前に現れます。
「なぜこのタイミングで上弦の鬼が現れるんだ」と、 このシーンを観た誰もが思ってしまった場面ではないでしょうか。
偶然現れたのではと思いますが、その理由は、後に鬼殺隊の宿敵である鬼舞辻無惨の口から明かされます。
無惨は、日の光を克服できるとされる秘薬”青い彼岸花”を長年探し求めていました。
無限列車の近くで、無惨の命で青い彼岸花を探していた猗窩座を、あえて鬼狩りを殲滅(せんめつ)するために向かわせたのです。
死闘の相手
物語上、初めての上弦の鬼、上弦の参・猗窩座。
けがをして横たわっている炭治郎めがけて襲い掛かる猗窩座に、杏寿郎はすかさず、炎の呼吸弐ノ型・昇り炎天で反撃を加えます。
なぜ、手負いの者から狙うのか理解できない
©吾峠呼世晴/集英社 鬼滅の刃 第8巻 第63話
杏寿郎の正義感の籠ったこの発言。
頼もしくもあり、とても男気溢れ、卑怯なまねを絶対に許さない信念が表れています。
弱っているものや自分より弱い者は守ることはあれ、真っ先に攻撃するなど、杏寿郎の中では言語道断なことなのでしょうね。
人の目があるなしに関わらず、そのような卑怯な真似をするということは、ある意味、鬼の様なプライドのない人間ができることでもあると思います。
さらに、杏寿郎の肉体と精神の強さを感じ取った猗窩座は、鬼にならないかと誘います。
人間の弱さを否定し蔑む猗窩座に、杏寿郎は命の儚さ、それゆえの尊さを一言一言を大切に伝えます。
杏寿郎は幼くして最愛の母・瑠火を病気で亡くしており、とても実感が籠っています。
何度も悲しみに飲み込まれそうになるのを、母との約束を胸に、必死に鍛錬に打ち込むことで、乗り越えてきた杏寿郎だから言えることでもあるのです。
壮絶な死闘
ここから、猗窩座と杏寿郎の激しい死闘が始まりました。
ほぼ互角の戦いを繰り広げる中、杏寿郎の炎の呼吸伍ノ型・炎虎と猗窩座の破壊殺・乱式が激しく衝突します。
杏寿郎はこの攻撃で、左目は潰れ、肋骨は砕け、内臓も激しく損傷してしまいました。
致命的な負傷をしている中、驚異の精神力と闘気で猗窩座に立ち向かう杏寿郎。
そして、杏寿郎の玖ノ型・煉獄と猗窩座の破壊殺・滅式がぶつかり…。
杏寿郎は、取り返しのつかない致命傷を負ってしまいました。
猗窩座の右腕が杏寿郎の胸を貫通してしまいます。
この瞬間、杏寿郎の死が決定的となってしまいました。
ここから、幼き日の杏寿郎と母・瑠火との回想シーンが…。
死を予感させる、走馬灯のような、とても悲しいシーンです。
猗窩座の”お前は選ばれし強き者なのだ!!!”から導かれるように、母・瑠火からも、自分が人より強く生まれた意味を問われるところから回想が始まります。
このシーンによって、杏寿郎の真意、自らを奮い立たせ支えてきた信念が明らかになります。
一度目の負傷の際に杏寿郎が奮起しながら発していた”俺は俺の責務を全うする”。
それは、母の教えであり、杏寿郎の心の支えでもあった大切な母との約束だったのです。
強く優しい子の母になれて幸せでした。
あとは頼みます。
©吾峠呼世晴/集英社 鬼滅の刃 第8巻 第64話
それを受けて、杏寿郎は猗窩座の頸に日輪刀を当てながら心の中で叫びます。
母上 俺の方こそ 貴女のような人に生んでもらえて光栄だった
©吾峠呼世晴/集英社 鬼滅の刃 第8巻 第64話
そこから、杏寿郎は最後の力を振り絞り、自分の胸に貫通している猗窩座の腕を日の出の時まで逃がすまいと踏ん張ります。
あと一歩のところで、猗窩座は自分の腕を切り離し、日の光から逃げてしまいました。
煉獄杏寿郎の死亡シーン・最期の時
逃げる猗窩座に向け、必死に杏寿郎の健闘を叫び続ける炭治郎。
そんな炭治郎に杏寿郎は、優しく声をかけました。
自ら瀕死の状態の中、後輩を心配し、こんな風に声を掛けられる人は杏寿郎以外考えられません。
それ位、最期の時まで高尚な態度を貫く杏寿郎に涙が止まりません。
炭治郎が知りたがっていたヒノカミ神楽に繋がるかもしれない手記の事。
自分の家族への遺言を託し、そして、炭治郎の心配事である禰豆子の事を話し始めます。
自分が死に瀕しているにも関わらず、遺される者の心に寄り添おうとする杏寿郎。
そのまっすぐな優しさに胸を打たれます。
自分のことより、人の事。
常にそういう意識を持って生きてきたからなのでしょう。
胸を張って生きろ
己の弱さや不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと
心を燃やせ 歯を食いしばって前を向け
君が足を止めて蹲(うずくま)っても 時間の流れは止まってくれない
共に寄り添って悲しんではくれない
©吾峠呼世晴/集英社 鬼滅の刃 第8巻 第66話
これは、杏寿郎自身が長年痛いほど感じてきたからこそ言える、後輩へ向けた助言でしょう。
先輩の鑑ですね。
また、この助言は現代に生きる私たちにも響く力を持つ言葉だと思います。
過酷なことがあった時にこの言葉を読み返すと、その悲しみが和らぎ、何となく力が湧いてきませんか?
それは、誰よりも杏寿郎が寄り添っている言葉だからだと思います。
最後に、杏寿郎は、信じる思いを込めて、炭治郎たち後輩一人一人に、未来を託しました。
死への恐怖や弱みなど一切見せることなく、これ以上ない高尚な対応をしている杏寿郎に、亡き母の姿が見えてきます。
杏寿郎:母上 俺はちゃんとやれただろうか
やるべきことを果たすべきことを全うできましたか?
瑠火:立派にできましたよ
杏寿郎は最後の瞬間、自身の信念である、強き者の責務、それを全うできたかと不安げに母に尋ねます。
母に認めてもらった後の笑顔は、20歳の年相応の青年の、無邪気さの残る最高の笑顔です。
その笑顔はいつまでも観る者の心に残りますね。
まとめ
今回は、涙なくしては見られない、煉獄杏寿郎の死亡シーンを振り返って参りましたが、いかがでしたでしょうか。
何度見ても、猗窩座との死闘や、杏寿郎の言動に胸が熱くなります。
早くに母を失い、そのことで人間の弱さや命の儚さを痛いほど感じながら成長してきた杏寿郎。
杏寿郎の最期の雄姿、それは母の教えである、強き者の責務を全うすること、そのことに一途に生き、最期の最期まで貫き通しました。
このシーンには、現代を生きる私たちにも響く、杏寿郎の姿勢や言葉などが込められているように思います。
ぜひ、コミックや映画、アニメなどを見返して、何かを感じ取ってみてはいかがでしょうか。
引き続き、鬼滅の刃をお楽しみください!!
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