猗窩座が生まれたのは江戸時代のいつ頃?入れ墨・花火・上弦会議のセリフから年代を考察

十二鬼月
©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

『鬼滅の刃』は大正時代が舞台となっていて、人間のキャラクターはほとんどが明治時代の生まれです(鱗滝さんは江戸時代)。

では、寿命のない『鬼』はどうでしょうか?

今回は鬼の中で特に人気の『上弦の参・猗窩座』について、生まれた年代を考察いたします。

猗窩座の生まれた時代が江戸時代である根拠

『鬼』とは言っても、現在の鬼殺隊員たちと同じ時代に若い人間だった禰豆子と獪岳(善逸の兄弟子)、そして浅草で無惨に鬼にされた男性は明治生まれになるでしょう。

それ以外の鬼で、生まれた時代が本編で明らかになっているのは、鬼舞辻無惨(平安時代)上弦の壱・黒死牟(戦国時代)のみです。

ただ、遊郭での戦いの後にお館様が発したこのセリフから、黒死牟以外の上弦の鬼も100年前はすでに『上弦』だったことがわかりました。

©吾峠呼世晴/集英社 コミック第11巻

大正時代の100年前は江戸時代、つまり、上弦の鬼たちはいずれも「江戸時代か、それより前の生まれ」ということになります。

しかし、これではまだ年代の幅が広すぎますので、もっと絞り込んでいきましょう。

入墨刑が科せられていた時代

猗窩座の人間時代の名前は「狛治(はくじ)」といいます。

狛治の生まれた時代は作中で明確にされていませんが、江戸時代中期から後期と考えました。

その根拠を、まずは「罪人の証である入れ墨」から解説します。

入墨刑は江戸中期~明治初期まで

©吾峠呼世晴/集英社 コミック第18巻

猗窩座の顔や体にはたくさんの線が入っていて、これは人間時代の入れ墨と鬼の紋様とが混ざり合ったものです。

軽犯罪者への入墨刑は、中国にならって1720年(江戸時代中期)から始まりました。

しかし、1867年の大政奉還以降、急激に西洋化が進む中、諸外国から野蛮な国と思われるのを避けるため、1869年には「晒し首」が、翌1870年には「刑罰としての入れ墨」が廃止になっています。

つまり、この刑罰が科せられたのは1720年から1870年までの150年間だったことになりますね(参考:日本のタトゥー史
※1872年までとする説もあります

狛治が生まれたのは1709年よりも後

©吾峠呼世晴/集英社 コミック第18巻

この時点で狛治は11歳、入墨刑が始まったのは1720年ですので、狛治が生まれたのは1709年よりも後ということになります。

花火が打ち上げられるようになった時代

©吾峠呼世晴/集英社 コミック第18巻

もうひとつ、猗窩座の過去を語る上で外せない、婚約者の恋雪(こゆき)と見た花火からも年代を考察します。

日本にも文永十一年に蒙古軍が来襲した際に武器として火薬が持ち込まれました。花火が鑑賞されるようになったのは江戸時代です。徳川家康が中国人によって打ち上げられた花火を見たことがきっかけで将軍や大名の間で花火が流行します。本格的に川開きの花火が打ち上げられるようになったのは、享保十八年の大飢饉がきっかけです。八代将軍吉宗は慰霊と悪疫退散を祈って水神祭を行い、その時に花火を打ち上げたのが始まりです。

引用元:花火の歴史(なにわ淀川花火大会HPより)

「享保18年」は、西暦1733年です。

狛治と恋雪が一緒に花火を見に行ったとき、狛治は18歳。

しかしその3年前、つまり狛治が15歳のときに、二人のこんな場面がありました。

©吾峠呼世晴/集英社 コミック第18巻

この年には、すでに花火の打ち上げが行われていることがわかりますね。

この「狛治が15歳だった年」が、一般的に花火の打ち上げが始まった1733年だとすると、狛治が生まれたのは1718年となります。

もちろん、これは「考え得る最も早い年」であり、これより後である可能性が高いと思われますが、少なくとも『入墨刑』から算出した「早くて1709年」より、さらに9年後の1718年まで絞り込むことができました。

後に猗窩座の技の名前に付けられる花火につきましては、こちらの記事で紹介していますので、是非ご覧ください。

手鬼のセリフからわかる『鬼滅の刃』の時代

©吾峠呼世晴/集英社 コミック第1巻

『鬼滅の刃』が大正時代の物語であることは、最終選別での炭治郎のセリフから明らかになっています。

さらに手鬼が言ったこのセリフから「手鬼が鱗滝さんに捕まったのは47年前で、そのときは江戸時代だった」ということもわかりますね。

そこから考えられる『鬼滅の刃』の具体的な年は、下記4つのうちのいずれかです。

手鬼が捕まった年『鬼滅の刃』の年
1865年(慶応元年)1912年(明治45年・大正元年)
1866年(慶応2年)1913年(大正2年)
1867年(慶応3年)1914年(大正3年)
1868年(慶応4年・明治元年)1915年(大正4年)

物語の始まりが明治時代だった場合

この4年の中で、『鬼滅の刃』が何年に当たるのかは、はっきりしていません。

もし禰豆子が鬼にされたとき、つまり、炭治郎が冨岡義勇と鱗滝さんに出会ったときがまだ明治時代だったら、そこから2年間修行した後に参加した最終選別は、大正元年か大正2年に行われていることになりますね。

ただしこの場合、年号が明治から大正に変わったのは「炭治郎が狭霧山で修行をしているとき」で、教えてくれた人は鱗滝さんということになると思いますが、何かちょっとしっくりきません。

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この頃の炭治郎は、日々厳しい修行を繰り返して毎日疲れ切っており、また禰豆子がずっと眠り続けていることを不安に思っていた時期でした。

そんなときに「炭治郎、実は年号が変わってな」という会話が鱗滝さんとの間にあったとは考えにくいのです。

物語の始まりが大正時代だった場合

でももし禰豆子が鬼にされたときがすでに大正時代だったとすると、年号が変わったのを教えてくれたのは母親の葵枝さん、あるいは村の人たちだったということになるでしょう。

©吾峠呼世晴/集英社 コミック第1巻

こちらの方が、物語の雰囲気や流れとしては自然なのではないでしょうか。

そしてその場合、炭治郎が参加した最終選別が行われたのは大正3年か大正4年ということになりますね。

さらに手鬼の回想シーンを見ますと、鱗滝さんに捕らえられたときに雪が降っていて、足元にも少し積雪があることから、この時期は冬だったことがわかります。

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ここで重要なのは、この時代はまだ旧暦が採用されており、冬は今のような「新年を挟んだ3か月」ではなく「(ほぼ)年末の3か月」でした

これを踏まえますと、慶応4年(1868年)の年末はすでに明治時代となっていることから、手鬼が捕らえられたのは慶応元年~3年(1865年~1867年)のいずれかの冬だったことになります。

そして、物語の始まりがすでに大正時代だったとすると、この「手鬼捕獲シーン」が慶応元年や慶応2年だった線は消えますので、最終選別以降の『鬼滅の刃』の時代は大正3年(1914年)と考えました。

猗窩座が生まれたのは何年から何年の間か?

鬼だった期間は長くて百数十年

©吾峠呼世晴/集英社 コミック第18巻

この頸を斬られた直後の猗窩座のセリフは、鬼になったのは数百年前、少なくとも200年以上前なのではないか、とも取れる言い方をしています。

この場面が、先に考察した『鬼滅の刃』の時代である1914年(大正3年)とすると、200年前は1714年。

しかし「入れ墨」と「花火」から考察した生まれ年は1718年以降でした。

また、狛治が鬼になったときの年齢は18歳、つまり1736年以降に鬼になっていて、そうなると「200年以上鬼であった説」は否定されることになります。

鬼になったと考えられるいちばん早い年(1736年)から倒された年(1914年)を計算しますと、猗窩座が鬼だった期間は長くて175年ですね。

上弦の「最短在位期間」から算出する最も遅い生まれ年

では、今度は狛治が生まれたのは「遅くとも何年なのか」を考察します。

そのヒントとなるのは、遊郭での戦いの直後、上弦が集結する無限城(通称『上弦会議』)での鬼たちのセリフです。

鬼舞辻無惨のセリフからわかること

©吾峠呼世晴/集英社 コミック第12巻

このとき無惨が言っている「殺された上弦の鬼」とは、遊郭で倒された妓夫太郎&堕姫を指していて、彼らが倒されるまで上弦は113年間も顔ぶれが変わっていなかったことがわかります。

また、その113年前に上弦の誰かが倒された後、新しい上弦として補充されたのは、作中でいちばん下の「陸」だった妓夫太郎&堕姫でしょう。

それはこのときの上弦会議において、半天狗や玉壺も「前に呼ばれたことがある」という意味の言葉を発していることからも間違いないと思われます。

『鬼滅の刃』の年を1914年とすると、その113年前は1801年。

なので妓夫太郎&堕姫が『上弦の陸』となったのはこの1801年ということになりますね。

妓夫太郎&堕姫を鬼にした童磨

遊郭編でのこのシーンにより、童磨は妓夫太郎&堕姫よりも早く鬼になっていたことがわかります。

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「お前らに血をやるよ。二人共だ」

童磨は当時『上弦の陸』で、そこから妓夫太郎&堕姫が『上弦の陸』に上ってくるまでの間に、自身は『上弦の弐』となっています。

猗窩座よりも後で鬼になった童磨

童磨は20歳のときに鬼となり、そのまま100年以上生きてきたことが本人のセリフからわかっています。

しかし、そもそも上弦の顔ぶれが113年変わっていない時点で「100年以上生きてきた」ことは明らかですので、これはヒントにはなりません。

©吾峠呼世晴/集英社 コミック第12巻

ただ、童磨のこのセリフから、猗窩座は童磨よりも先に鬼になっていたことがわかりますね。

順番しか判明していないので・・・

猗窩座、童磨、そして妓夫太郎&堕姫に関しては、鬼になった順番と上弦に上がった順番は判明しているのですが、それぞれの期間が何年空いているのかは全くの不明。

例えば、猗窩座と童磨が同じ年に鬼になっていた可能性もゼロではないのです。

ほぼゼロだとは思いますが、その場合の「何年後だったのか」という根拠を示すことができません・・・

しかし、童磨が妓夫太郎&堕姫を鬼にした時期は冬(雪が降っていた)ですので、手鬼のときと同じく、これはその年の年末だったと考えられます。

そうなると、妓夫太郎&堕姫が鬼になったのは、彼らが『上弦の陸』になった1801年より、少なくとも1年は早い年(1800年)ということになりますね。

猗窩座(狛治)が鬼になったのは18歳のときでしたので、1800年の18年前、つまりどんなに遅くとも1782年には生まれていたと考えます

ものすごく強引なのは承知の上で、ここでは猗窩座・童磨・妓夫太郎&堕姫の3組が鬼になった年はすべて1800年として計算しています。童磨と妓夫太郎&堕姫の出世速度が霞柱・時透無一郎並み(=刀を持って2か月で柱に上りつめた)だった、と考えるのもかなり無理がありますが、あくまで猗窩座の生まれた年の可能性として「どんなに遅くても」を算出するための参考です。

まとめ

今回、猗窩座が生まれたと考えられる年代は、以下と考察しました。

  • 『入れ墨』と『花火』から考察した最も早い年は「1718年」
  • 『上弦会議』から考察した最も遅い年は「1782年」

あれほど強い『上弦の参・猗窩座』が、人間として生まれてからまだ200年も経っていないのは意外な気もします。

©吾峠呼世晴/集英社 コミック第18巻

しかし、猗窩座自身の「百年以上無意味な殺戮を繰り返し」というセリフから、やはり生きてきたのは百数十年だったのだろうと思いました。

それは「入墨刑が科せられていた時代」と「花火が打ち上がるようになった時代」とも矛盾しません。

鬼の中で、ここまで細かい時代背景が組み込まれているのは猗窩座だけだったと思います。

『鬼滅の刃』において、猗窩座という鬼がひときわ特別な存在であることを、今回の考察で再認識いたしました。

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