上弦の壱・黒死牟は元柱だったのか?その可能性について考察

十二鬼月

黒死牟は上弦の鬼で最も強いとされる『壱』の数字を与えられ、四百年もの間その座を守り続けた鬼です。

上弦の鬼から入れ替わりの決戦を3回申し込まれていますが、1度も負けたことはありません。

さらに鬼殺隊士たちが鬼と戦うために身に着ける全集中の呼吸を会得しており、さらにそれよりも会得するのが難しいとされる「痣」と「透き通る世界」も使うことができます。

まさに最強の鬼と言える黒死牟ですが、鬼殺隊にいた時はどのくらいの強さだったのでしょうか?

今回は、黒死牟が鬼殺隊にいた時に柱であった可能性について考察していきます!

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黒死牟は鬼殺隊の時、柱だったのか?

©吾峠呼世晴/集英社 コミック19巻

先に結論を伝えてしまうと、原作やファンブックなどでは黒死牟が柱だったという説明はありませんでした。

ですが鬼殺隊にいた時の強さを考えると、黒死牟が柱であった可能性はとても高いです!

次からは黒死牟が柱であったと考えられる可能性について考察していきます。

黒死牟が柱であった可能性

©吾峠呼世晴/集英社 コミック19巻

ここからは黒死牟が柱であった可能性について考察していきます!

痣を出現させていた

©吾峠呼世晴/集英社 コミック20巻

黒死牟は始まりの剣士たちの中の1人であり、痣を発現することに成功していました。

”痣のものが一人現れると共鳴するように周りの者たちにも痣が現れる”と伝えられているため、痣が出ていた縁壱と共にいたことが要因でしょう。

もちろん黒死牟が厳しい鍛錬を行い努力していたことも要因の1つです。

痣は寿命の前借りであると分かった時に集まっているの画が、痣者である当時の柱たちの可能性が高いです。

自身で新しい呼吸法を生み出している

©吾峠呼世晴/集英社 コミック19巻

呼吸法を鬼殺隊に教えたのは縁壱であり、戦国時代から鬼殺隊では全集中の呼吸を使って鬼と戦うことが出来るようになりました。

しかし縁壱が使っていた日の呼吸は誰も使うことが出来ませんでした。

縁壱は元々使っていた剣術の型に上乗せして呼吸を使い、独自の呼吸を生み出していたのです。

黒死牟も縁壱の強さに近づくために日の呼吸を使えるよう努力しましたが、会得することはできず、「月の呼吸」という呼吸を生み出しました。

自分に合った呼吸を生み出すというのはなかなかできることではありませんので、黒死牟は鬼殺隊だった時も相当な実力者であったことが分かります。

月の呼吸は作品に登場した14種類の呼吸の中で最も型の数が多く、その数は何と16種類!鬼になってから生み出した型もあると思いますが、相当な努力とセンスがないと難しいですよね。

お館様の屋敷を知っていた

黒死牟は鬼となる時、当時のお館様を殺害して首を無惨に献上しました。

お館様の屋敷は鬼から狙われないように一部の人間しか場所を知らされていませんでしたが、黒死牟は屋敷の場所を知っていました。

おそらく柱たちには屋敷の場所が知らされており、黒死牟も柱であったため場所が分かったのだと考えられます。

この一件からさらにお館様の住居については厳重に隠されるようになりました。隠が作られたのもこの頃のようです。

まとめ

©吾峠呼世晴/集英社 コミック19巻

黒死牟が元柱であったのかについて考察してみました。まとめると…

まとめ

・原作では柱であったことは明確になっていない。
・鬼殺隊時代の活躍を考えると、柱であった可能性は極めて高い。
 ⇒痣の発現に成功し、新しい呼吸を生み出すことに成功
・当時のお館様の住居を知っていた

このことから、鬼殺隊であった時は柱であったことは間違いないでしょう。

柱の実力があり、鬼となった黒死牟だからこそ上弦の壱という位を四百年守ることが出来たのですね。

黒死牟が元柱であった可能性について、みなさんの意見などありましたら、ぜひコメント欄でおしえてくださいね。

では、最後までお読みいただきありがとうございました!

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