善逸(ぜんいつ)の兄弟子は、最初の登場場面では名前が明かされておらず、テレビアニメの声優さんの欄でも「善逸の兄弟子」としか書かれていませんでした。
しかし再登場したときは何と「上弦の陸(ろく)」で、名前が「獪岳(かいがく)」であることも判明します。
「ああ、そういえば善逸に意地悪な兄弟子いたっけね」ぐらいのイメージでしかなかった獪岳が、善逸を激怒させるほど変わってしまった背景には何があったのでしょう。
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我妻善逸の兄弟子獪岳(かいがく)はどういう人?
兄弟子・獪岳の生い立ち
獪岳は家族がおらず(理由は不明)、子供の頃は、同じように身寄りがない子供たちといっしょにお寺で暮らしていました。
そのときお寺で子供たちの世話をしてくれていたのは、後の岩柱・悲鳴嶼行冥(ひめじまぎょうめい)です。
右端で笑っている、首飾りをつけた少年が獪岳です。
お寺で暮らしていけなくなった理由
悲鳴嶼さんのセリフ「ずっとそのようにして生きていくつもりだった」、つまり、実際にはそうはいかなかったということです。
実はこのお寺である事件が起こったのですが、そのときのことを悲鳴嶼さんは炭治郎にこう語っています。
「ある夜、言いつけを守らず、日が暮れても戻らなかった子供が鬼と遭遇し、自分が助かるために、寺にいた私と八人の子供たちを鬼に喰わせると言ったのだ。私の住んでいた地域は鬼の脅威の伝承が根強く残っており、夜は必ず藤の花の香炉を焚いていた」
コミック第16巻
その「お寺に鬼を招き入れた子供」が獪岳だったのです。
鬼に襲われた子供たちはほとんど殺され、鬼と戦った悲鳴嶼さんが犯人にされ(鬼は朝日と共に消滅してしまい、子供たちの亡骸と血まみれの悲鳴嶼さんしか残っていない状況だったので)、そのままそこに住み続けることはできなくなったのです。
また、獪岳はそんな惨劇を引き起こした張本人ですので、さすがに戻るつもりもなかったでしょう。
獪岳はなぜ、日が暮れても戻らなかったのか?
お寺でお金を盗んだことが他の子供にバレて、お寺を追い出されてしまったからです。
自分が助かるためにお寺に鬼を招き入れたのは、その腹いせもあったのかも知れません。
善逸との出会い
お寺を出たあとの獪岳は、雷の呼吸の使い手・桑島慈悟郎に弟子入りしています。
その経緯は不明ですが、もしかするとお寺の事件がきっかけで、鬼を倒す剣士となる道を選んだのかも知れません。
後に師匠の桑島が新しい弟子として連れてきたのが、獪岳と同じく家族のいなかった善逸でした。
師匠は善逸の才能に気づいていて、先に弟子になった獪岳と善逸の二人を自分の後継者としていたのですが、いつもメソメソしている弱虫の善逸と自分が同等に扱われることに、獪岳は不満を募らせていきました。
兄弟子・獪岳はなぜ鬼になった?
雷の呼吸の継承者だった獪岳ですが、行き着いた先は「鬼殺隊の柱」ではなく「鬼」でした。
獪岳を鬼にしたのは、上弦の壱・黒死牟です。
黒死牟に遭遇してしまった獪岳は、戦っても勝てないことを悟り、命乞いをします。
かつては自身も鬼狩りの剣士であった黒死牟は、剣士の気持ちを(良くも悪くも)よく知っており、「もっと強くなりたい」という獪岳の気持ちを利用して「鬼になる」という最悪の選択をさせてしまったのです。
兄弟子・獪岳(かいがく)の登場シーン
那田蜘蛛山で気絶した善逸の回想
善逸は那田蜘蛛山で毒蜘蛛に刺され、恐怖で気を失ったときに過去の夢を見ています。
そこに出てきたのが、善逸を辛抱強く指導してくれた師匠の桑島慈悟郎と、弱虫の善逸を突き放す兄弟子の獪岳でした。
善逸の気の弱さは、鼓の屋敷や那田蜘蛛山で、あの炭治郎にさえ呆れられていたほどですので、毎日のようにメソメソしている善逸を見ていた獪岳がこう思うのは、わからないでもありません。
善逸と再会した無限城
獪岳と善逸が再会したのは偶然ではなかった
善逸が無限城にいたのも、そこで最初に獪岳に遭遇したのも、偶然ではありません。
上弦の肆・鳴女(琵琶の鬼。前上弦の肆・半天狗の死後、上弦として補充された)の血鬼術により、捕捉された隊士は皆、無限城に落とされていて、善逸もそのひとりでした。
城内には獪岳以外の上弦の鬼たちも配置されていましたが、善逸はその鋭い聴覚で獪岳の音を感知し、真っ直ぐ獪岳のところへ向かっています。
兄弟子の裏切りに善逸の怒りが爆発!
善逸が別人のように怖いです。。
人相が変わるほど善逸が怒っていた理由、それは師匠・桑島慈悟郎が、自身が育てた「雷の呼吸の継承者」から鬼を出してしまったことで、割腹自殺していたからなのです。
そういえば、炭治郎の師匠・鱗滝左近次も、「もし禰豆子が人を襲ったら腹を切る」と心に決めていました。
剣士としての第一線は退いているものの、師匠たちは常に弟子の行動に対する責任を負っているのですね。
善逸は師匠の最期をどうやって知った?
鎹雀のチュン太郎(「うこぎ」という本名がある)が運んできた手紙で知りました。
岩柱・悲鳴嶼行冥の下で柱稽古に参加していたときのことです。
この直後から善逸の様子がおかしくなり、炭治郎からも「大丈夫か? 善逸、ここしばらく喋らないし・・・」と心配されています。
「やるべきこと、やらなくちゃいけないことが、はっきりしただけだ。炭治郎は炭治郎のやるべきことをやれ。お前は本当にいい奴だよな。ありがとう。だけど、これは絶対に俺がやらなきゃ駄目なんだ」
コミック第16巻
この言葉が何を意味するのか、この時点ではわかりませんでしたが、無限城で獪岳と顔を合わせたときの善逸のセリフで全部合点がいきました。
「雷の呼吸・壱ノ型」の明暗
善逸は、6つある雷の呼吸のうち「壱ノ型」しかできません。
そして獪岳は、「壱ノ型」だけができませんでした。
獪岳は、自分が使える雷の呼吸・5つの型全部(血鬼術で強化されているらしい)を次々に繰り出しますが、善逸はそれに耐え、獪岳の知らない型で攻撃をします。
「陸ノ型」までしかない雷の呼吸ですが、善逸はこの「漆ノ型」を自分で考え、自分だけの型として使えるようになっていたのです。
基本の「壱ノ型」を極めた善逸だからこそできた、新しい雷の呼吸の型でした。
獪岳は、昔からずっとバカにしてきた善逸に頸を斬られ、屈辱の最期となったのです。
善逸も重体だった
獪岳を倒したものの、獪岳の技の威力もすさまじく、善逸は死の淵をさまよいます。
そんな中で見た走馬灯に出てきたのは、やはり師匠の桑島慈悟郎でした。
「爺ちゃん!! ごめん、俺、獪岳と仲良くできなかった。(中略)俺がいなかったら獪岳もあんなふうにならなかったかもしれない。ほんとごめん!! 何も恩返しできなくってごめん!!」
コミック第17巻
あの善逸がここまでの剣士になったこと、師匠は本当に喜んでくれているはずですが、同時に、倒した相手が兄弟子だったというのは、あまりに非情な運命でした。
まとめ
師匠の桑島慈悟郎は、「雷の呼吸の後継者」と決めていた善逸と獪岳の二人を、分け隔てなくとても大切にしていました。
そして善逸は、獪岳のことを人間としては嫌っていましたが、ひたむきに努力する彼のことを剣士の先輩としては尊敬していたのです。
最後に放った「漆の型・火雷神(ほのいかづちのかみ)」は、いつか獪岳と肩を並べて戦うときに使いたかった技で、この攻撃の直前に、善逸は「ごめん 兄貴」と言っています。
獪岳の耳には届きませんでしたが、兄弟子に対するこれまでの気持ち全てが込められたセリフでした。
そんな「弟」の思いも師匠の思いも知らず(知ろうともせず)、孤独な最期を迎えた獪岳。
黒死牟に出会わなければ、また違った人生だったのかも知れませんが、その黒死牟に無限城でとどめを刺したのが、かつて獪岳に人生を狂わされた悲鳴嶼行冥だったというのも、皮肉な巡り合わせでした。
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