鬼に惨殺された家族の仇と鬼にされた妹・禰豆子を人間に戻す為、鬼殺隊に入隊した「鬼滅の刃」の主人公である竈門炭治郎。
一方、鬼舞辻無惨の最も信頼する部下であり上弦の最高位「壱」の位を持つ黒死牟。
実力で言えば、鬼舞辻無惨の次に強い鬼と言っても間違いないでしょう。
しかしこの二人、作中では戦うことはおろか、遭遇すらしていないのです。
もしも、鬼滅の刃の主人公「竈門炭治郎」と、上弦の最高位である「黒死牟」が戦っていたらどうなっていたのか?そんな事を想像した人も多いのではないでしょうか。
そこで今回は、もし、炭治郎VS黒死牟戦が実現していたらどのような展開になったのか?について考察していきたいと思います。
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もし竈門炭治郎VS上弦の壱・黒死牟が実現していたら
縁壱を彷彿させる炭治郎に、激しい戦いになっていた
竈門炭治郎と黒死牟は、作中では直接的な接触はなかったのですが、ある人物を通すことにより、濃厚な接点がありました。
まずは、その接点について紹介します。
炭治郎が、鬼殺隊入隊前からずっと身に着けている花札の柄のような耳飾り。
これは、炭治郎の祖先である竈門炭吉が、ある人物から命を救われ、別れ際に託されたものでした。
その際に、炭吉は、その人物が使っていた剣技と耳飾りを後世に伝えると約束します。
その人物こそ、この物語の核とも言える、始まりの呼吸の剣士・継国縁壱です。
炭治郎の祖先である炭吉は縁壱との約束を守り、縁壱の剣技を神楽として代々受け継いでいき、それが、子孫である炭治郎へと引き継がれていったのでした。
縁壱は、黒死牟である継国巌勝の双子の弟であり、縁壱の剣技の才に激しい憧れと嫉妬を覚える余り、巌勝は人間であることを捨て、自ら鬼となる道を選んでしまった因縁の相手でもあります。
そして、縁壱の日輪刀も、炭治郎と同じ黒刀で、黒曜石のような漆黒だったことが炭吉の妻・すやこの発言の遺伝した記憶として描かれています。
漆黒の日輪刀から赫刀を発現したことも、縁壱と炭治郎はリンクしています。
縁壱の耳飾りを付け、赫刀を発現し、ヒノカミ神楽の動きを継承した炭治郎は、黒死牟にとって、最も憧れであり最も憎い相手である縁壱を彷彿とさせ、激しい戦いになっていたと考えられます。
力の差は歴然
炭治郎は、元水柱・鱗滝左近次に指南を受け、水の呼吸を会得しましたが、終盤では父から継承された神楽より、日の呼吸に辿り着きました。
日の呼吸は黒死牟の弟であり、始まりの呼吸の剣士・継国縁壱が教授していた剣技です。
全ての呼吸は、日の呼吸の派生であり、黒死牟の会得している月の呼吸もまた、日の呼吸の派生で、黒死牟が独自に編み出した剣技です。
折れない異形の刀で一振りの斬撃で幾重もの月型の刃を広範囲に放つ月の呼吸。
その剣技は、初めて対峙した霞柱・時透無一郎も一瞬の一太刀で片手を失ってしまうほどでした。
月の呼吸は、この月型の刃が広範囲に斬撃を繰り出す為、無限城で無一郎と共に対峙した岩柱・悲鳴嶼行冥や風柱・不死川実弥のような距離を持って繰り出せる剣技を持つ物でないと不利な戦いとなってしまいます。
鬼舞辻無惨との戦いの最中で、日の呼吸の拾参ノ型に辿り着いた炭治郎ですが、黒死牟と対峙しているとすれば無惨戦より前となる為、ここでは拾参ノ型は習得していないと仮定します。
あの鬼舞辻無惨ですら、日の呼吸を繰り出す炭治郎に縁壱の面影を連想するほどですから、黒死牟なら尚の事、炭治郎に縁壱の面影を見たのではないでしょうか。
力や剣技で言えば、炭治郎は黒死牟よりも圧倒的に不利な状況です。縁壱を彷彿せる炭治郎に、黒死牟の歪んだ憎しみから炭治郎は瞬時に切り刻まれてしまった可能性はとても高いと考えられます。
縁壱は黒死牟の憧れでもあった
無限城の戦いで黒死牟は、実弥の日輪刀に映った自分の醜い姿を見て、縁壱を想い、ようやく我に返りました。
自らを生き恥とまで言った黒死牟の体が塵となって消えた後、大切に布にくるまれた笛が残ります。
この笛は、幼い頃の巌勝(黒死牟)が、家の中で、双子の次男故に虐げられていた縁壱に”助けて欲しいと思ったら吹け。すぐに兄さんが助けに来る”と自分で作って渡したものでした。
縁壱が7つになるまで口を利かなかった為、吹いてすぐに伝えられる手段として笛を選んだことも、巌勝(黒死牟)の縁壱に対する優しい思いを感じます。
しかし、巌勝(黒死牟)は守るべき不憫な弟・縁壱の優れた剣技の才を目の当たりにし、さらには母の病を察知し、労わっていた縁壱に対し、激しい嫉妬と共に憎悪するようになっていきます。
それから、長い時間が経ち、齢八十を超えた縁壱と遭遇した黒死牟は、痣者でありながら、生きている縁壱に激しい嫉妬心を再燃させ、憎しみを増長させました。
黒死牟の一撃を受けた後、縁壱は寿命を迎え直立しながら、亡くなってしまいます。
死しても尚、醜い憎悪で絶命している縁壱を斬りつける黒死牟。
切断された縁壱の懐から、自分が渡したあの笛が真っ二つになり、現れました。
可愛かった弟・縁壱を思い出し涙を流す黒死牟。
心も身体も鬼になったとはいえ、黒死牟が最期までこの笛を大切に持ち続けていたのには、縁壱への激しい憎悪と嫉妬心の先に強い憧れの思いがあったからだと思います。
私はただ 縁壱 お前になりたかったのだ
©吾峠呼世晴/集英社 鬼滅の刃 第20巻 第176話
ただひたすらに縁壱になりたかった黒死牟が、炭治郎と対峙した場合、早い段階で、耳飾りや日輪刀、繰り出す日の呼吸により、縁壱を思い返していたと考えられます。
日の呼吸を炭治郎が習得していたことは黒死牟も以前から知っており、最期の時に、自分は何も残せないのにお前の呼吸はなぜ残っていると語っていました。
実弥の日輪刀に映る自分を見て、醜さを感じ我に返ったように、炭治郎と対峙し、剣技を交わす間に、自分自身の本心と向き合い、我に返るというような展開も考えられなくはないのではないでしょうか。
自分の子孫である無一郎に対しては残酷なまでに非情な斬撃を繰り返した黒死牟ですから、その激しい憎悪と嫉妬心を炭治郎に向けた可能性は高いとも考えられます。
しかし、もし竈門炭治郎VS上弦の壱・黒死牟が実現していたらと考えたなら
黒死牟は激しい憎悪の先の自分の本心、そして本来持っていた兄としての優しい想いに気づき、我に返ったという展開をここでは望みたいですね。
まとめ
今回は、もし、炭治郎VS黒死牟戦が実現していたらについて考察してみました。
まとめると
- 縁壱の耳飾りを付け、ヒノカミ神楽の動きを継承した炭治郎は、黒死牟にとって、最も憧れであり憎い因縁の相手・縁壱を彷彿とさせ、激しい戦いになっていた
- 力や経験、剣技で言えば、炭治郎は黒死牟よりも不利な状況であり、縁壱を思わせる炭治郎に対する歪んだ憎しみから瞬時に切り刻まれてしまった可能性はとても高い
- 黒死牟は自分の本心、そして本来持っていた自分自身の兄としての優しい想いに気が付き、我に返った可能性もある
兄弟や友人間での嫉妬心などは、人間として生きる中では、とてもよくある出来事の一つであり、身近な羨ましい気持ちからの憎悪も無くはない感情の一つだと思います。
しかし、それが卓越した才能であった場合、身近にいる人間にも多大な影響となることでしょう。
存在しているだけで比較されたり、見劣りしたりなど様々な要素が出てくるのが人間の世界です。
そして、それが激しい憎悪に変貌すると、黒死牟のように鬼となり、現代で言えば、殺人などに至ったり…。
縁壱の剣技を継承した炭治郎に出会う事で、黒死牟の歪んだ心が本来の自分、侍を目指し剣の道を究めたかった思いを思い出し、自分のしている事の罪深さに気が付いていたら、という視点から考察してみました。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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