上弦の壱・黒死牟の『笛』最後まで持っていたのは弟・継国縁壱への想いから?

十二鬼月

『上弦の壱・黒死牟(こくしぼう)』と、鬼殺隊歴代最強の剣士『継国縁壱(つぎくに・よりいち)』は双子の兄弟です。

黒死牟の人間時代の名前は『継国巌勝(つぎくに・みちかつ)』。

今回ご紹介する「笛」は、この兄弟にとって、最初で最後の絆といえる重要アイテムなのですが、原作をサラッと1回読んだだけでは、もしかして見逃してしまっているシーンもあるかもしれません。

この「笛」に込めた彼らの想いを、じっくり解説していきたいと思います。

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上弦の壱・黒死牟の「笛」と「弟・縁壱」はどう繋がる?

継国巌勝&縁壱は、戦国時代、武士の家系に双子の兄弟としてこの世に生を受けました。

しかし、同じ日に生まれた男子でも、兄と弟とでは扱われ方が全く違っていたのです。

長男の巌勝は跡継ぎとして大事に育てられますが、次男の縁壱は、着物、食事、教育、すべてにおいて兄とは(悪い意味で)差をつけられて育ちました。

兄・巌勝(後の黒死牟)から見た「笛」

©吾峠呼世晴/集英社 コミック第20巻

自分と比べ、何もかもが質素で、母親にぴったり寄り添ってばかりの弟・縁壱のことを、兄の巌勝は「哀れな子」だと感じていました

父親からは「弟には会うな」ときつく言われていましたが、やはり弟のことは気になってしまうようで、「助けて欲しいと思ったら吹け。すぐに兄さんが助けにくる」と言って、自分で作った笛を弟に渡したのです。

母の死後に知ったことだが、縁壱が母に寄り添っていたのは、甘えていたのではなく、病気の母を支えていたのだった。

なぜ縁壱に「笛」を渡したのか?

©吾峠呼世晴/集英社 コミック第20巻

縁壱は7歳になるまで言葉を発しなかったために、兄の巌勝だけではなく母親の朱乃(あけの)からも「この子がしゃべらないのは、耳が聞こえないからだ」と思われていました。

言葉が話せなければ、助けて欲しくても助けを求めることができないので、兄はそんな縁壱でも意思表示ができるようにと、吹くだけで音が鳴る「笛」を作って渡したのではないでしょうか

母の朱乃さんは、耳が聞こえないと思っていた息子の縁壱さんに「この子の耳を明るく照らしてください」と、太陽モチーフの耳飾りを作ってあげたのだそうです。俺が付けている耳飾りは、その朱乃さんが作ったものだったんだ。

弟・縁壱から見た「笛」

©吾峠呼世晴/集英社 コミック第21巻

兄の巌勝が縁壱に「笛」をくれたのは、この翌日でした。

顔が赤紫に腫れ上がるほど殴られたにもかかわらず、兄は自分のところへ自作の「笛」を持ってきてくれたのです。

父親から殴られても、兄はまた自分のところへ来てくれた、自分のために笛まで作ってくれた、縁壱はそれが本当に嬉しかったのです

なぜ縁壱は巌勝と差別されているのか?

©吾峠呼世晴/集英社 コミック第20巻

二人が生まれた戦国時代は、跡継ぎ問題で兄弟が殺し合うことは決して珍しくありませんでした。

跡目争いが起こることを危惧した父親は、次男の縁壱を生まれてすぐ殺そうとしましたが、母親が怒り狂って手がつけられなくなったため(普段は物静かな人だったそう)、「10歳になったら寺に行かせる」という約束で生かされていたのです。

ただし、それは「生かされている」というだけで、決して「生きていることを歓迎されていた」というわけではなかったことを、縁壱は知っていました。

ずっと口をきかなかったのはそのためで、しゃべらないことで自分の存在をできるだけないものにした方がいいと、子供心に思っていたのです。

縁壱は2歳のときに、父から「お前は忌みの子だ」と言われ、自分の立場を理解したようだ。2歳でその言葉の意味を理解するのは難しかったと思うが、これまで父から可愛がられたことがなく、私を見る目と明らかに違っていたことは、幼いながらに感じていたのだろう。

黒死牟(巌勝)が再び「笛」を目にしたのは80年近く後

縁壱は7歳のとき、母親が亡くなったのを機に「寺に行く」と行って家を出ています。

そして20代前半頃に、兄弟は思わぬ形で再会していますが、このことで、兄・巌勝の運命は大きく変わり始めます、いや、狂い始めます

一度目の再会

7歳のときに縁壱が寺へ発った後、兄の巌勝は継国家の跡取りとして妻と子供を持つ身となり、平穏に暮らしていました。

ところがある日、部下とともに野営していたときに鬼に襲われ、それを鬼狩りとなっていた縁壱に助けられています。

これが一度目の再会でした。

©吾峠呼世晴/集英社 コミック第20巻

縁壱に剣の才能があることは子供の頃から知っていましたが、さらに磨きがかかった縁壱を見て、妻子を捨てて自身も鬼狩りとなった巌勝。

しかし、どうしても縁壱に追いつけず口惜しい思いをしていたとき鬼舞辻無惨に出遭い、もっと強くなるために鬼になることを選んでいます

尚、兄が鬼になった後、鬼殺隊を追われた縁壱は、しばらくは何人かの柱と連絡を取り合っていたそうですが、やがて姿を消してしまったのでした。

二度目の再会

それから60年余り後、黒死牟(巌勝)は弟の縁壱と二度目の再会を果たしました。

兄は弟がまだ生きていたことに驚き、弟は鬼になって若い姿のままでいる兄を哀れんでいます。

©吾峠呼世晴/集英社 コミック第20巻

黒死牟は、若く強いままずっと生きていられる自分が、老いさらばえた弟に哀れまれることが理解できませんでした。

しかし縁壱から見れば、そんなことに価値を見出している兄の方こそ哀れだと思っていたのでしょう。

それは、煉獄さんが言っていたこのセリフと通じるものがあると思います。

©吾峠呼世晴/集英社 コミック第8巻

このことがわかっていれば、兄も鬼になりたいなどと思うことはなかったはずです。

しかし、鬼への道を歩ませてしまった原因は、自分に対する劣等感だったことも、縁壱は知っていたでしょう。

そして、その決着をつけるときが来たのです。

最初で最後、兄弟の真剣勝負

©吾峠呼世晴/集英社 コミック第20巻

80歳を過ぎているはずの縁壱でしたが、すっかり老いていた見た目とは違い、剣の腕は衰えていませんでした。

ここでも力の差を見せつけられ、次の一手で自分の頸が落とされることを確信した黒死牟。

しかし、縁壱は次の手を放つ前に立ったまま寿命が尽き、息絶えたのでした。

縁壱に勝つ機会を永遠に失った黒死牟

黒死牟は縁壱の寿命が尽きたことで命拾いします。

しかし、「勝つ機会を永遠に失った」という悔しさから、すでに絶命している縁壱の亡骸を両断。

©吾峠呼世晴/集英社 コミック第20巻

その縁壱の懐に、自分が幼い頃に渡した「笛」がありました。

そして縁壱がこの笛を生涯大切に持っていたことを、黒死牟はこのとき初めて知ったのです。

縁壱の「笛」に対する想い

「笛」をくるんでいたのは亡き妻の着物

縁壱には「うた」という妻がいました。

7歳で継国家を出た縁壱は、実際にはお寺へ行っておらず、行くあてもなく走り続けていて、その途中で出逢ったのが、家族全員を病気で亡くして寂しい思いをしていた「うた」だったのです。

©吾峠呼世晴/集英社 コミック第21巻

二人はそのまま一緒に暮らすことになり、10年後、夫婦となりました。

しかし、「うた」は縁壱が留守のときに鬼に襲われ、殺されてしまいます。

そのとき「うた」は臨月で、縁壱は妻とお腹の子供を二人とも失うという悲劇に見舞われたのでした。

縁壱さんが留守にしていたのは、うたさんのために産婆さんを呼びに行っていたからでした。その後、縁壱さんは鬼狩りとなってたくさんの人を救っていますが、再婚はせず、生涯愛したのはうたさん一人だったそうです。

幼い頃に兄からもらった宝物の「笛」を、愛する人の着物に包んで何十年も持っていたのですね。

実は「着物の色が違っていた」という説もあるんだけど・・・どうなんだろう?

でも、どちらにしても「愛する人の形見」であることに代わりはないよね。

なぜ「笛」をそんなにも大事にしていたのか?

©吾峠呼世晴/集英社 コミック第10巻

継国家を出て行くとき、ほとんど荷物は持っていかなかった縁壱でしたが、この笛は布でくるんで大事に持って行きました。

自分に構うと父親から殴られてしまうことをわかっていても、自分のために兄が作ってくれた「笛」

音は決して良いものではなかったものの、縁壱にとっては、大好きな兄からもらった宝物だったのです。

兄は鬼になってしまったけれど、「笛」をくれたときの兄が本当の姿で、それはいつまでも自分の胸の中にある、そういう意味が込められていたような気がします。

そうでなければ、愛する妻の形見で作った袋に入れたりしませんよね。

黒死牟の「笛」に対する想い

弟が持っていた「笛」を持ち帰った

老いて寿命の尽きた縁壱の懐から出てきた「笛」は、この笛を作った黒死牟自身が持ち帰り、おそらくその後は、縁壱と同じように肌身離さず持っていたと思われます。

©吾峠呼世晴/集英社 コミック第20巻

これは黒死牟が無限城で倒され、その身が完全に消滅する瞬間で、着物と一緒に残されたのが、あの「笛」でした。

なぜ縁壱と対峙したあの日、この笛を持ち帰ったのか、そしてなぜずっと持ち続けていたのか、それは黒死牟自身もはっきりとは理解できていなかったかも知れません。

弟に抱いていた本当の気持ちとは?

縁壱のことを恨み、妬み、最後は亡骸を両断した黒死牟でしたが、もし心から嫌っていたのなら、この「笛」を持ち帰ることも、その後ずっと懐に入れておくこともなかったはずです。

黒死牟が縁壱に抱いていた本当の気持ちとは、どんなものだったのでしょうか?

嫌いだったのではなく、ただただ羨ましかった

黒死牟自身が気づいていなかった、いや、認めたくなかった本心を、最後の最後で認めている場面がこちらです。

©吾峠呼世晴/集英社 コミック第20巻

あんなに憎んでいた弟でしたが、その本心は「ただ縁壱が羨ましかった」のです。

鬼になった兄との絆を断つことなく、その「笛」を持ち続けていた縁壱、そして子供の頃に自分が渡した「笛」を縁壱が生涯大事にしていたことを、縁壱の死後に知った黒死牟。

縁壱が純粋に自分を慕っていてくれたことを感じ、その一瞬だけ、「継国巌勝」に戻ったのかもしれません。

弟は兄を超えたいとは思っていなかった

©吾峠呼世晴/集英社 コミック第20巻

これは縁壱が7歳のときに、初めて兄の前で言葉を発した場面です。

弟はしゃべれないと思っていた巌勝は、驚きすぎて持っていた木剣を落としてしまったほどでした。

そして縁壱は、懸命に稽古に励む兄を見て、自分のことをこう言ったのです。

©吾峠呼世晴/集英社 コミック第20巻

これは、縁壱の素直な気持ちだったに違いありません。

元来、争いごとを好まない縁壱は、兄よりも強くなることなど、全く考えていなかったのです。

それは自分に剣の才能があることを知った後でも変わりませんでした。

もし兄の方に剣の才能があったならば、きっとこの二人の未来は全く違ったものになっていたのでしょうね。

まとめ

兄にとっての弟・縁壱は、人間時代も鬼になってからも、ずっと憎んできた相手でしたが、縁壱が最後までこの笛を大事にしてくれていたことで、兄の心に少しばかり変化が生じたのではないかと思います。

子供の頃、がらくたのような「笛」を宝物のように扱っていた弟を見て、気味悪がっていた兄。

しかし、弟はその「笛」を生涯大事に持ち続けていて、それは兄である自分を慕ってくれていた何よりの証拠であったことに気づきます

そして自分の命が尽きる瞬間、弟に対する自分の本心にも気づいたのでした。

弟の気持ちに気づいてから自分の気持ちに気づく(=本心を認める)までにかかった時間は実に400年。

その長い長い年月を振り返って最後に黒死牟の思ったことが「私は何のために生まれてきたのだ、教えてくれ、縁壱」だったのは、『上弦の壱』に君臨し続けた者とは思えない、本当に虚しいセリフだと思いました。

縁壱という天才を弟に持ったがゆえの哀しい末路でしたが、もし二人の生まれた時代か境遇、どちらかが違っていれば、仲の良い兄弟でいられたのかも知れません。

継国縁壱につきましては、黒死牟の過去と併せましてこちらで詳しく解説していますので、是非ご覧ください。

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