竈門炭治郎がいつもつけている「耳飾り」、炭治郎はこのアイテムを寝るときでさえも外すことなくつけ続けています。
そしてこの「耳飾り」のルーツをたどると、「ヒノカミ神楽」にも繋がることがわかりました。
果たしてこの「耳飾り」は、いつ誰がつけ始めたもので、どんな意味があるのでしょうか。
そして「ヒノカミ神楽」にはどうやって繋がるのでしょうか。
竈門炭治郎の「耳飾り」に込められた意味
この耳飾りは、はるか昔の戦国時代、ある一人の母親が息子のために「お守り」として作ったものです。
実はその子の耳はちゃんと聞こえていたのですが、ずっと口をきかなかったために「この子は耳が聞こえないのだ」と母に思われていたのでした。
「聞こえない耳を温かく照らしてください」、太陽モチーフにはそんな意味がこめられていたのです。
尚、元々体の弱かった母親は息子が7歳のときに24歳の若さで他界し、その後、息子は大人になってもこの耳飾りをずっとつけ続けています。
「耳飾り」の継承
母に「お守りの耳飾り」をもらった男の子は、後にあの鬼舞辻無惨を死の淵まで追い詰めるほどの剣士となりました。
その人物の名は、『継国縁壱(つぎくによりいち)』といいます。
耳飾りの最初の持ち主「継国縁壱(つぎくによりいち)」とは何者?
鬼殺隊史上最強の「始まりの呼吸の剣士」
炭治郎の時代の柱たちは、全員「呼吸」を使っていますが、最初に「呼吸」というものを使った剣士が継国縁壱でした。
彼の編みだした呼吸は「日の呼吸」で、後に「始まりの呼吸」と呼ばれるようになります。
代々炎柱の家系の煉獄家の手記には「日の呼吸=始まりの呼吸」のことが記録されていて、そこには更に「日の呼吸」の使い手が「耳飾り」をつけていたことまで記されていたそうだ。
だから俺が、無限列車の任務後に煉獄家に行ったとき、煉獄さんのお父さんが俺の耳飾りを見て「お前、『日の呼吸』の使い手だな?」と聞いてきたんですね。
『上弦の壱・黒死牟(こくしぼう)』の双子の弟
縁壱の兄・継国巌勝(つぎくにみちかつ・黒死牟の人間のときの名前)も鬼狩りの剣士でした。
巌勝は縁壱の「日の呼吸」を使うことができず、派生した「月の呼吸」の使い手となっていますが、「派生した呼吸しか使えない」という負い目がありました。
そして「縁壱より強くなりたい」との思いで鬼舞辻からの鬼への誘いを受けた結果、『黒死牟』という鬼になっています。
継国縁壱は炭治郎の先祖なのか?
縁壱は炭治郎の先祖ではありません。
あるとき縁壱は、鬼に襲われて逃げ惑う夫婦を見つけ、彼らを鬼から助けています。
その時に助けられた夫婦が、炭治郎の先祖にあたる「竈門炭吉(すみよし)&すや子」でした。
その縁で、縁壱はたびたび炭吉たちのところを訪れるようになり、炭吉も自分たちの命の恩人である縁壱をいつも快く迎えていました。
しかしある日、「お守りの耳飾り」を炭吉たちに託すと、そのまま姿を消したのです。
「始まりの呼吸の剣士」の子孫は、炭治郎ではなく僕です。ただし直系ではなく、先祖をたどって行き着くのは兄の巌勝、つまり『上弦の壱・黒死牟』の方なんだそうです。
「耳飾り」が竈門家に受け継がれた理由
縁壱には家族がいなかった
縁壱にはかつて「うた」という妻がいて、子供も生まれる予定でした。
しかし「うた」が臨月のとき、縁壱が産婆を呼びに行っている間にお腹の子供もろとも鬼に殺されてしまいます。
その後、縁壱は鬼狩りとなってたくさんの人を救いましたが、生涯愛した女性は「うた」ひとりだけで子供もおらず、母の形見でもある耳飾りを継承する肉親がいませんでした。
縁壱が自ら「耳飾り」を炭吉に託した
縁壱にとって、炭吉に耳飾りを渡したことに深い意味はなかったのかも知れませんが、炭吉は命の恩人である縁壱のために「自分が思いを繋いでいく」と決心します。
そしてこのときに、「耳飾り」だけではなく「日の呼吸」も伝えていくと言っていますね。
つまり、「耳飾り」の継承者は同時に「日の呼吸」の継承者でもあるということです。
尚、継国縁壱につきましては、こちらの記事で詳しく紹介しています。
「日の呼吸」の継承
剣士でない炭吉がどうやって「日の呼吸」を知ったのか?
炭吉の家を訪れていた縁壱に、妻・すや子が「剣の型を見たい」とせがむと、縁壱はそれを見せてくれました。
そのあまりの美しさに目を奪われた炭吉は、その姿をひとつも取りこぼさずその瞳に焼き付けたのです。
「ヒノカミ神楽」の基となった「日の呼吸」
日の呼吸の『型』は「神楽」として継承
炭治郎の母・葵枝「うちは火の仕事をするから、怪我や災いが起きないよう、年の始めは“ヒノカミ様”に舞を捧げてお祈りするのよ」
コミック第5巻
竈門家には、先祖代々「ヒノカミ神楽」が伝わっています。
炭治郎が那田蜘蛛山で見た走馬灯「父・炭十郎が舞うヒノカミ神楽」は、テレビアニメでも屈指の美しい場面ですね。
そのヒノカミ神楽の基となったのが、継国縁壱の「日の呼吸」でした。
『呼吸』も「神楽を舞うための呼吸」として同時に継承
炭十郎「息の仕方があるんだよ。どれだけ動いても疲れない息の仕方。正しい呼吸ができるようになれば、炭治郎もずっと舞えるよ。寒さなんて平気になる。炭治郎、この神楽と耳飾りだけは必ず途切れさせず継承していってくれ。約束なんだ」
コミック第5巻
そしてその「約束」こそ、はるか戦国の時代に炭吉が縁壱に誓ったものだったのです。
何百年も継承されているのは、その「神楽=日の呼吸の型」の美しさと、真面目な竈門家の家系によるものなのでしょう。
鬼舞辻無惨が「耳飾り」を気にしている理由
かつてこの「耳飾り」を付けていた継国縁壱は、鬼舞辻無惨を死の淵にまで追い詰めた唯一の剣士でした。
鬼舞辻は炭治郎の「耳飾り」を見て、縁壱へ抱いた恐怖(400年以上前のこと)を思い出したのです。
そもそも、なぜ炭治郎は鬼舞辻無惨と遭遇できたのか?
宇髄「そんなまさか!『柱』ですら誰も接触したことが無いというのに・・・!」
炭治郎は鬼殺隊に入ったばかりの頃、任務で赴いた浅草で鬼舞辻の匂い(家族が殺されたときに家に残っていた匂い)を察知し、鬼舞辻を見つけています。
実は炭治郎が鬼舞辻と遭遇できたのには、こんな理由がありました。
『柱』ではなく下っ端だったから
つまり、『柱』たちが鬼舞辻と遭遇したことがないのは、鬼舞辻自身が『柱』を察知でき、接触を避けることが可能だったからではないかとも考えられます。
炭治郎が鬼殺隊士としてはまだまだ未熟者だったことで、鬼舞辻は鬼狩りが近くにいるとは気づかず、姿を現していたのでしょう。
鬼舞辻は『柱』から逃げていたのか?
お館様「隠したいものがあると、無惨は騒ぎを起こして巧妙に私たちの目をそらすから。何とももどかしいね」
「逃げていた」という表現が的確かどうかはさておき、自分の目的(太陽の克服)を果たすための邪魔をされないよう、注意を払っていたことは確かだと思われます。
鬼舞辻の実力であれば、『柱』と遭遇しても難なく殺せたと思うのですが、念には念を入れて、万が一の可能性も排除しようとしていたのでしょうか。
「耳飾り」の持ち主は『日の呼吸』の継承者と思って警戒
その「万が一の可能性」が、縁壱の『日の呼吸』の継承者に出遭ってしまうことだったと考えれば、鬼舞辻が「耳飾り」に過剰に反応しているのも腑に落ちます。
炭治郎はこの「耳飾り」を付けていたことで、鬼舞辻無惨の中に深く記憶されることとなり、執拗に命を狙われます。
「耳に花札のような飾りをつけた鬼狩りの頸を持って来い」
「耳に花札のような飾りをつけた鬼狩りを殺せば、もっと血を分けてやる」
最期はその『日の呼吸』の継承者に自分の夢を託した
鬼舞辻無惨は自分の肉体が消滅する間際、自分の思いを受け継ぐ者を残すために、あれほど憎んでいた『日の呼吸』の継承者(=炭治郎)にその思いを託しています。
こんな小さな「耳飾り」が、良くも悪くも最期まで無惨の心を捕らえて放さなかったのですね。
まとめ
鬼舞辻無惨は、継国縁壱の「耳飾り」をつけた炭治郎と遭遇してしまったことで、お館様が仰ったとおり「初めて尻尾を見せる」という失態を犯しています。
はるか昔、継国縁壱が「耳飾り」を託した炭吉は剣士の家系ではありませんでしたが、偶然にも「火を使う家系」であったことから、「ヒノカミ神楽」という形で『日の呼吸の型』とともに継承されていました。
現代に生きる炭治郎の子孫は「耳飾り」をつけてはいませんが、ちゃんと継承されて大事に飾られていますね。
そして「ヒノカミ神楽」も玄孫のカナタと炭彦(すみひこ)兄弟までしっかり継承されていて、二人は年に一度、産屋敷家が管理する神社でヒノカミ神楽を舞っているのだそうです。
関連記事