上弦の鬼の中で最も位が高い、壱の数字を無惨に与えられた黒死牟。
無惨からの信頼も厚く、壱の数字を与えられてから一度もその座を他の鬼に奪われたことはありません。
鬼になる前は鬼殺隊だったため、全集中の呼吸を使うことができ、鬼となってからも呼吸を使って己の体から作り出した刀を使って戦います。
使う呼吸は月の呼吸で、月のエフェクトにも当たり判定が出ると言った反則級の強さをもつ呼吸です。
月の呼吸を習得した黒死牟ですが、実は鬼殺隊の時は日の呼吸を習得したいという考えがありました。
ですが、黒死牟は日の呼吸を習得することはできませんでした。
なぜ双子の弟である縁壱が習得していた日の呼吸を、黒死牟は習得することが出来なかったのでしょうか?
今回は、なぜ黒死牟が日の呼吸を習得することができなかったのかを考察していきます!
- 日の呼吸を習得した人は誰?
- なぜ黒死牟は日の呼吸を習得できなかったの?
- 日の呼吸を習得するためには何か条件があるの?
このようなことが気になった人は、ぜひこの記事を読んでみてくださいね。
▼▼▼動画でもご覧いただけます▼▼▼
日の呼吸とは
日の呼吸とは、すべての全集中の呼吸の元となった呼吸で始まりの呼吸とも呼ばれています。
生み出したのは戦国時代に鬼狩りとして鬼殺隊を支えた継国縁壱です。
歴代炎柱を輩出している煉獄家が残している手記には、「最強の御業」と書かれるほど、他の呼吸よりも一撃の威力が強いとされる呼吸です。
日の呼吸に斬られた無惨と半天狗は、斬られ心地のインタビューで「不快」と答えていました。
現在は詳細が分かっていない
戦国時代には日の呼吸を使ってる剣士は縁壱の他にもいましたが、現在は謎に包まれています。
それは、戦国時代に無惨と黒死牟によって、日の呼吸の使い手が全員殺されたからです。
無惨は縁壱によってあと少しで殺されるという恐怖を植え付けられました。
そのことから、無惨は縁壱のような剣士が現れないようにするために、日の呼吸の使い手を全員殺したのです。
その為、日の呼吸を使える人がいなくなってしまい、現在には日の呼吸というものは存在しない呼吸となってしまったのです。
竈門家に神楽として代々伝えられてきた
鬼殺隊からは日の呼吸を知る人はいなくなってしまいましたが、竈門家に日の呼吸は神楽として代々伝えられてきました。
炭治郎が言っていた「ヒノカミ神楽」が日の呼吸だったのです。
竈門家は代々炭売りの家系でしたが、炭治郎の先祖である炭吉が縁壱によって命を救われたことがあり、縁があって日の呼吸を見せてもらったことがあるのです。
そして、炭吉は見せてもらった日の呼吸を神楽として、後世に伝えるようになりました。
戦国から大正まで受け継がれていた神楽ですが、型は正確に後世に伝えられていたため、炭治郎はヒノカミ神楽を使って鬼の戦うことが出来たようです。
日の呼吸を習得できた人物
黒死牟が習得できなかった日の呼吸ですが、日の呼吸を使っていた人はどんな人たちなののでしょうか?
まずは日の呼吸を使っていた人物について説明していきます。
竈門炭治郎
竈門家の長男であり、ヒノカミ神楽を日の呼吸と知らずに習得しました。
日輪刀は日の呼吸に適性があるとされる漆黒に染まっていたため、元々使っていた水の呼吸よりも日の呼吸の方が適性が高いです。
初めは日の呼吸を使うと反動で体が動かなくなってしまっていましたが、訓練で体力をつけてからは少しずつ反動が少なくなっていきました。
継国縁壱
日の呼吸を生み出した人物で、黒死牟の双子の弟でもある継国縁壱。
炭治郎は日の呼吸を、使うと反動で体が動かなくなることがありましたが、縁壱にはそういった描写が無かったため、体の作りが他よりもはるかに優れていたことが分かります。
縁壱が日の呼吸で無惨を斬った時の傷は100年以上たった今でも残っており、けた外れの威力だったことが分かります。
無惨は炭治郎の攻撃を受けても、縁壱の実力には遠く及ばないと言っていました。同じ日の呼吸であっても、やはり縁壱の剣技は他とは比べ物にならないほどの力だったのでしょう。
竈門炭十郎
炭治郎の父で、すでに故人である竈門炭十郎も、炭治郎と同じで日の呼吸とは知らずに習得していました。
炭治郎の前にヒノカミ神楽を習得しており、病気で体が弱かったにも関わらず、雪が降り続ける中、一晩中神楽を舞うことが出来ました。
また、家の近くに近づいてきた自分よりも倍近く大きい熊に対し、斧1つで首を斬り落とすという超人の動きを見せていました。
剣の稽古もなしでここまで辿り着くことが出来ていたので、もしかしたら炭治郎よりも、日の呼吸の適性があったかもしれません。
黒死牟はなぜ日の呼吸を習得できなかったのか
縁壱以外にも日の呼吸を使っていた人物がいたことは分かりましたが、縁壱の双子の兄であった黒死牟は日の呼吸を習得することが出来なかったのでしょうか?
黒死牟が日の呼吸を習得できなかった理由について、考察していきます!
縁壱と黒死牟の価値観が大きく異なっていたから
日の呼吸を生み出した縁壱と兄弟であったころから、黒死牟も日の呼吸の適性が高いのでは?と思いましたが、黒死牟は日の呼吸を習得したくても習得することが出来ませんでした。
ということは、適した呼吸と言うのは血筋はあまり関係ない可能性が高いです。
では縁壱と黒死牟で何が違っていたのかと考えると、2人は物事に対する価値観が大きく異なっていたので、それが影響している可能性があります。
自分や後世についての考え方
まず1つ目は、自分自身や後世に対する考え方の違いです。
痣者が次々と死んでいく事態に直面した際に、黒死牟は縁壱と後世について話していました。
黒死牟も痣者で、自分や縁壱のような実力者が寿命で死んでしまい、後世が育っていないことに対して危機感を抱いていました。
しかし縁壱は、自分たちが死んだ後のことを特に心配していませんでした。
私たちはそれ程大そうなものではない
長い長い人の歴史のほんの一欠片
私たちの才覚を凌ぐ者が今この瞬間にも産声を上げている
彼らがまた同じ場所まで辿り着くだろう
自分のことを特別だとは思っておらず、それどころかそれ以上に優れた人が誕生するという考えを持っていました。
これが縁壱と黒死牟の最大の違いでしょう。
ヒノカミ神楽として日の呼吸を習得した炭治郎や炭十郎も、自分のことはあまり特別だと思っていない点が縁壱と似ています。
特に炭治郎は縁壱と考えが似ているような発言をしています。刀鍛冶の里では、無惨を倒して禰豆子を人間に戻したいという自分の想いは、誰かがやり遂げてくれると信じているとはっきり言っていました。炭治郎も後世のことを信じており、縁壱の発言とも似ていますね。
家族に対する想い
家族に対する想いでも、黒死牟と縁壱とでは大きな違いがありました。
黒死牟は鬼殺隊に入る前は継国家を継いで武士となり、妻を娶り、子供にも恵まれました。
しかし縁壱と再会し、その強さを目の当たりにしたことで、奥底にあった剣技を極めたいという思いが強くなります。
そして黒死牟は剣技を極めたいという思いから、家や家族を捨て、鬼殺隊に入りました。
黒死牟にとって、剣技を極めたいという気持ちの方が家族よりも大切で会ったことが分かります。
一方で縁壱も、継国家を出てから両親を亡くして1人でいた少女、うたと出会いました。
縁壱はうたと結ばれ、うたは縁壱の子供を授かります。
うたの臨月が近づき、縁壱はうたの出産のために産婆を呼ぶために出かけました。
しかし産婆を呼びに縁壱が家を留守にしていた際に、うたはお腹の中にいた子供と一緒に鬼によって殺されてしまったのです。
縁壱はうたと子供が殺されてしまったことが受け入れられず、10日間ほど意識がはっきりしないまま、2人の亡骸を抱いていました。
それほど縁壱にとって、うたと子供の存在が大切だったのでしょう。
うたと子供のことを、縁壱は「命より大切に思っているもの」と言っていました。
自分の家族に対する想いも、黒死牟と縁壱でかなり差があることが分かります。
縁壱は子供の時から、自分の家族のことを思って行動することが多かったです。母が亡くなってから寺を出たのも、父と兄が家のことで争いになることを避けたかったからかもしれません。
実力が無かったというわけではない
黒死牟に実力がなかったのでは?という可能性も考えましたが、その可能性はなさそうです。
黒死牟は隊士だった頃、日の呼吸は習得できなかったものの、日の呼吸から派生した「月の呼吸」という呼吸法を生み出しています。
さらに、実力者でないと発現しないとされている痣も発現させていました。
このことから、黒死牟は鬼殺隊では柱、もしくはそれに限りなく近い立場であった可能性が高そうです。
柱に近い実力であった黒死牟が、日の呼吸を習得できた炭治郎よりも実力がなかったとは考えにくいので、日の呼吸を習得できるかどうかには実力は関係なさそうです。
まとめ
黒死牟が日の呼吸を習得できなかった理由について考察してみました。まとめると…
・黒死牟と縁壱は双子の兄弟であったので、血筋は関係ない
・黒死牟と縁壱の価値観に大きな違いがあったので、それが理由になっている可能性が高い
・黒死牟よりも実力では劣る炭治郎が日の呼吸を習得したので、実力は関係なさそう
・縁壱の価値観に炭治郎が近かったため、炭治郎は習得することが出来たのかもしれない
こうして見てみると、縁壱と炭治郎は自分の家族を大切にしていた、後世のことを信じて託そうとするといった共通点が見られます。
実力や血筋ではなく、日の呼吸を習得するには考え方や価値観が関係しているのかもしれませんね。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
関連記事